watchdogs

 

「あれ?」
マンションのエントランスへ入った途端、先を歩いていたトモがラウンジに目を向けた。そのまま足を止めたので、ボクもつられて立ち止まる。
「どうしたの、トモ」
「いや、うん。……ちょっと、珍しいなって」
何が?と問いながら、視線の先を追う。
まず目に入ってくるのは、ピンク色のふわふわした髪の毛。そして、その向かいの席にギターケースと手元の資料に目を向けている黒髪。この位置からではソファの上から覗く一部の情報しか見えないが、同じプロジェクトに参加しているTHRIVEのメンバーだ。
しかし、同じマンションに住んでいるわけだから、彼らがロビーラウンジにいるのはそんなに珍しいことではない。確かに、悠太がおとなしいのは珍しいことかもしれないけど。
「ねえ、何が珍しいのさ」
自分でも不機嫌な声が出たな、と思う。今日の仕事は終わったけれど、今の今まで雑誌の取材やら打ち合わせやらでてんてこ舞いしていたのだ。早く部屋に行って、シャワーを浴びたい。そう思っているボクを知ってか知らずか、トモはしばらくまじまじと眺めていた方向に足を向けた。スタスタと歩いていく背中を追う必要もないのだけれど、何がそんなにトモの興味を引いたのか、ほんの少しだけ気になるのでついていくことにした。

「やあ、お疲れさま」
「ああ、……おつかれ」
「おつかれさま~」
トモの声に気付いたのか、二人が顔を上げる。すぐに変だなと思う。
悠太はいつも明るくハイテンションで、声が大きくてうるさい。毎回『りゅうちゃん、おつかれさま!あのね、今日の差し入れがね!なんとなんと~、たっぷり苺のショートケーキだったんだ!もうめちゃくちゃ、おいしかった~!それでね』などと話しかけてくるはずが、今日は少し声のトーンを落としている。それに、空気が。二人が顔を上げた時に、いや、トモが声をかけた瞬間にかもしれない。ピリリと尖った気がした。
とはいえ、一度声をかけたのはこちら(トモ)なのだから、それじゃ失礼。お休みなさい、さようなら。というわけにはいかない。それにトモの足取りは、何か目的があるのか彼らの横の席に向かう。彼らの目がそれを追って、また空気がピリピリと揺れる。それを無視するようにして、トモは二人掛けのソファの背もたれに手をかけた。
そして少し目を丸くして、「珍しいね」と囁いた。
「起こさないでね」
少し低い悠太の声がその後を繋ぐ。トモはそれを受けて、微笑んだ。
訳が分からないまま、ソファの向こうを覗きこむ。見えたのは、ふわりとした水色。それは、最初に見えた時から足りなかった彼らのもう一つの色をもつ男。THRIVEのリーダー、愛染健十だった。彼は二人掛けのソファにぐったりと横たわり、長い脚を無造作に放り出している。少し乱れた長めの前髪に隠れた顔の色がいつもより青白く、たれ気味の目はしっかりと閉じられていた。
「帰りの車で車酔いしちゃったみたい。なんか、すぐ確認しなきゃいけない書類があったらしくて」
「アホだろ。んな細かい文字見てたら酔うに決まってる」
「もう、ごうちん。そう思ってたんなら止めてあげればいいのに」
「なんで俺が。大体、部屋に帰ってから読めばいいんだよ。まったく、なんでいつまでもこんなところで」
いつものように小競り合いを始めた二人にあきれていると、「んっ」という甘い声がそれを止めた。同時に、ハッとしたように目線を向けた先、ソファの上で身じろぎをした健十に「ケンケン」「愛染」と二人の囁き声がかかる。が、その目は開かれることなく、彼は再び穏やかに寝息を吐き出した。それと同時に二人の安堵のため息が漏れる。
いや、っていうかさ、なんで安堵なわけ?起こせばいいじゃん。具合が悪いんなら、叩き起こしてでも部屋まで行った方がいいんじゃないの。剛士もさっき言外に言っていたような気がするんだけど。不満気に眉を寄せたのが分かったのか、トモがボクを見て、それから二人を見て、口を開いた。
「君たちって、番犬みたいだよね」
「は?」
予想外だった。まったくもって。ボクは何を言い出したのかとトモを見上げる。ニッコリとキラキラした笑顔を浮かべて、「竜持もそう思わない?」と王子様がのたまう。想定になかった言葉にとっ散らかってしまった頭でどう答えようかとボクが戸惑っている間に、トモは健十へスルリと手を伸ばす。しかしその手が形のいいおでこに触れる前に、低い唸り声が飛んだ。
「おい、触んな」
「! ねえ竜持、威嚇されちゃったよ」
上機嫌に笑う顔を見て、ああこれは、相当楽しんでるなと感じた。悪趣味なことこの上ないけど、きっと今、トモの頭の中に浮かんでいるのは今日の雑誌撮影で一緒になった柴犬とかマルチーズとかコーギーとかの犬たちに違いない。そういえば、帰り道でも車の中から散歩中の犬を見てニコニコしていた気がする。まさか、犬が飼いたいなとか、言いださないよね。大型犬が飼いたいなんて言われたら、ものすっごく困るんだけど。
チラリと横目で剛士を確認すると、赤みの強い目をギラつかせていた。どっちにしても、あんな顔の怖い犬だけは絶対にゴメンだよ。そんなことより、ビリビリとしたこの空気をどうしようかと頭をひねっているとピンク色が跳ねるように立ち上がって、やんわりトモの手を健十から遠ざけた。それから、ボクに向かって微笑む。
「りゅうちゃんたち、もう今日のお仕事終わりだよね。はやく部屋でシャワー浴びて来たら?今日も暑かったし、外で撮影もあったんでしょ?大変だったんじゃない」
「……うん。汗もかいたし、早くシャワーが浴びたいよ、トモ。帰ろ」
「そうだね。帰ろうか」
悠太から出された助け舟にそそくさと乗って、トモの服の袖を引っ張る。控えめに、心細い声になるように心がけて。トモはその仕草に甘いから、いつものように優しい笑顔で同意してくれる。「じゃあ、おやすみ」と二人に声をかけて、エレベーターホールへ歩き出したトモの後に続く。後ろから突き刺すような視線を感じるけど、ボクのせいじゃないし無視をすることにした。触らぬ神になんとやらっていうしね。

ちょうど1階にいたエレベーターにとっとと乗り込んで、上層階のボタンを押すと扉が静かにしまった。二人きりになったところで、ホッと息をつく。
「ダメじゃん、ああいうことしちゃ」
「だって、面白かったから」
平然としてるふりして、すごく周囲を警戒してて。昔見たドーベルマンに似てたから、ちょっと、悪戯してもいいかなって思っただけだったんだよ。
それだけにしてはずいぶん楽しそうだったけど。疑わしい、という感情を隠しもせずに上目遣いで睨め付けると、トモは本当だよと眉を下げた。その顔にボクは唇を尖らせる。トモの右手に自分の左手を重ね、非難の言葉を口にする。
「噛みつかれかけてたのに?」
「狼も羊も群れで行動する動物だからね」
コワいよね。と口元に弧を描き、トモはボクの手をぎゅっと握った。温かい手のひらに肩の力が抜けていく。疲れや空腹を思い出して大きなため息が出た。それになによりその温度にひどく安心したから、つい口が滑ってしまった。
「もうやめてよね。ボク、すごくこわかったんだから」