pillow talk

 

蝶が羽を羽ばたかせるように、その長いまつげが震えた。
瞼が上がる、目が開いていく。
ああ、惜しいな。

起き抜けの愛染が、俺の手をぼんやりと見ている。間抜けに薄く開いた口元に感じていた欲情をそっと隠して、ソイツを覚醒させないように注意して声をかける。
「どうした?」
シーツを息で撫でるような声に、彼は瞬きで返事をする。
長いまつげの下で、蕩けた水色の目が水分を含んで揺れる。目の縁が少しだけ赤い。
「愛染?」
「……う、ん」
今度は掠れた声で返事が返ってきたが、その頭はまだ夢と現実のはざまにいるようだ。
「おれ」
「おー?」
「おれ、ね」
愛染はのったりと自分の腕を布団から出して、俺の手を取った。そして、手の甲を指で撫でると、満足げに微笑む。
「剛士の手、すき」
不明瞭な声で、愛染が言った。
彼の指は目的もなく、俺の手を這う。爪の形を確かめたり、関節を押してみたり、血管をなぞってみたり。俺はそれを享受して、ほくそ笑む。
「……へえ、知らなかったな」
笑いが声に滲んでしまったが、愛染は気付いていないだろう。なにせ、俺の手を弄るのに夢中なのである。たぶん今なら何を問うても、「うん」だか、「んぅ」だか分からない音が返ってくるだけだ。
そのうち、スルスルと自由に滑っていた指が、ゆるゆると俺の指に絡んだ。そのまま指の間を埋めるように、やんわりと握られる。普段はひんやりとした手が、今は温くひどく心地が良い。
「すき」
誰だよ、お前。仕事中でも、女の前でも、俺たちの前でもどこか構えてるくせに、頭働いてなさすぎだろ。
弛んだ口を隠すように、触られていない方の手で覆う。
「好き、な」
「うん。ふふ、すきだよ」
「本当かよ。お前、起きてないだろ」
「おきてるよ。ほんとだよ」
嘘つけ。起きてる時のお前はな、軽率にそんな顔しねえんだよ。馬鹿。
電池が切れたように眠ってしまった彼が、目を覚まして覚醒するまでの間だけに見せるその顔。人の目に触れる自分を、意識しているお前の無防備な表情や仕草。
俺だけが知っていればいい。お前にも教えてはやらない。かわいい、愛染。

「なあ、俺の名前、呼んでくれよ」
名残惜しいが、そろそろコイツも本格的に目を覚ますころだ。握られている手の親指で、その白い手の縁を撫ぜる。愛染が擽ったそうに目を細めた。
「なまえ?」
「そう。……ほら、早く」
「んふふ」
ごうし。
その音を閉じ込めるように、口を塞いだ。くぐもった声が、空気と一緒に愛染の口内に飲み込まれる。繋いでいた手に力を入れて、自由な方の手で腰を掴む。ここにいるのが俺だと強く脳に意識させるように、乱暴に引き寄せた。
途端に愛染の体がビクリと跳ね、目が零れ落ちそうなほど開かれる。ようやっとのお目覚めだ。
抵抗するように捻られた身体をなんとか押さえて、唇が強く閉じられる前に舌を差し入れる。朝一の口の中はバイ菌が云々、とコイツは嫌がるが、そんなことは知ったこっちゃない。「じゃあ、歯を磨いてから」などと言っていたら、洗面所から最低30分は出てこないのが愛染という男なのだ。忠犬だって「待て」を諦める。そうだろ?

「ん、んぅっ、ちょ、っと!」
体格差を使って強引に離された唇から、唾液が垂れた。
「おう、起きたな。はよ」
「おはよう、じゃ、ない。なに、朝から」
混乱を隠せない目がキョロキョロと動く。状況を把握するように周りを見て、垂れた唾液が気になるのかシーツに視線を落とし、それから視線が俺を捕らえる。
愉快だ。戸惑っているくせに、それでも気丈に振る舞うコイツが。
「覚えてねえの?」
責めるようにそう口にすれば、合っていたはずの視線がふと逸らされる。
「な、にを?」
その疑問に答えるように、繋がれた手を軽く引く。そのまま2回ほど上下してやると、愛染がこちらを見た。視線に入るように持ち上げてやると、彼は当惑を隠さず顔に出した。
「何」
「俺の手が好きだって言って離してくれねえの、誰だろうな」
見せつけるように指を動かしてやる。俺の手はこの通り自由だから、繋いできたのも、離さないのも、お前だぞというアピールだ。
少しの間、空気の流れが止まり、勢いよく手が離された。愛染が勢い余って、手をシーツに打ち付ける。
「朝からあまりに熱烈だったんで、中てられた。悪いな」
羞恥か、怒りか。頬を上気させた愛染が、コチラを睨んだ。何かを言おうと戦慄く唇が、何かを吐き出す前に、ベッドから降りることにする。一度大きく伸びをして、足早にドアを目指す。
ドアノブに手をかけ振り返れば、寝ぐせをつけた男がカーテン越しの朝日を背に受けていた。
「よく寝てたな、いい夢は見れたか?」
「おかげさまで、寝起きは最高に最悪だよ」
「そりゃ、よかった。今日は一段と、涎と寝ぐせが似合ういい男だぜ。ダーリン」
ついさっきまで仲良くしていた手が枕を掴むのを視界にとらえて、素早くドアを開ける。廊下へと体を逃がすのと同時、ちゃんと閉じるまでは到らなかったドアに、ボフンと軟らかいものがぶつかった。