「あー、アレは見えるかもな」
ファインダーを覗いていたカメラマンのカズさんが、いつもの低い声で呟いた。
目線の先には、待機中のTHRIVEのメンバーがかたまって立っている。阿修くんだけが少し離れた場所で、「風よ~、吹くな~」と唱えながら、不思議なポーズをしていた。
バタバタという音が聞こえる現場で、俺は仕事道具を置いている場所を横目で確認する。
本日は、THRIVEが出すニューシングルのジャケット写真の撮影日。
現在、撮影は順調に押していた。
「今までのシングルのジャケ写とは、テイストの違うものにしたい」
「アップテンポの曲だし、明るい感じがほしいね」
「キラキラしたのがいいよね。今の僕たちのエネルギーが伝わるようなの」
曲のイメージや3人の意見を取り入れながら、今回のジャケット写真には『空』を大きく入れようということになった。
希望に沿えるように、用意された場所はとあるビルの屋上だ。都会で空を入れるとなると、どうしてもある程度の高さが必要になる。ビルのオーナーのご厚意には本当に感謝である。隣には空を大きく反射するガラス張りの高層のビルがあるので、背景に奥行きも出ていい感じだ。
とまあ、そこまではよかったのだが、撮影に当たって大きな問題点が2つほどあった。
まず1つ目が、撮影日当日の天気である。
空を入れるとは言うが、勿論それは青空のことだ。多少の雲なら仕方ないが、曇り空や雨空では意味がない。
で、本日の天気はというと、朝の天気予報では見事に終日晴れ。降水確率も0%だ。
素晴らしい。
薄い雲がかかっているが、今のところゲリラ豪雨さえやってくる感じもしない。
では、張り切って撮影を!と言いたいところだったのだが、ここでもう1つの問題が立ちはだかってしまった。
2つ目の問題、それは風である。
阿修くんの持つ予定の大きな旗が、大きく波打つ。
宇宙を閉じ込めたような布地は、太陽の光を受けてキラキラと光る。3人の衣装がモノトーンな分、空の青とともに存在感を出すその旗は、思いのほか重い。
阿修くんは最初こそ、何ともないと言うように肩に担いだり振り回したりしていた。が、強風で煽られてはどうしようもないようだった。
可愛らしいA&Rに「いつ風がやむか分からないので、置いておきましょう」と言われ、彼は少し残念そうに眉を下げて頷く。結局、風が弱まるまで待機ということになった。
メンバーやスタッフに話しかけて暇をつぶしていた阿修くんは、目に見えるようにうずうずしだし、とうとう我慢が出来なくなったらしい。いつまでも弱まらない風に魔術で挑もうとし出したのである。それが、風よ吹くな、の呪文である。そう、阿修くんが唱えていた呪文はここに繋がるのだ。
そんな彼を気にすることもなく(いつものことだとでもいうようなスルー具合で)、残りのメンバーの二人は、強風を避けるようにしてくっついていた。くっついている、というのは語弊があるかもしれないが、まあまあ近い距離で並び立っていた。
風上にいる金城くんが欠伸を噛み殺している。昨日は遅くまで曲の編集をしていたらしい。
先ほど欠伸の理由を阿修くんに尋ねられて、鬱陶しげに答えていた。強く吹く風には迷惑そうに目を細めている。
時々、隣で絶望的な顔をして前髪を押さえている愛染くんを見ては、「前髪バカが」と悪態を吐く。その度に、愛染くんから「うるさい」と弱弱しい声が返る。
その後すぐに、愛染くんのそばに控えるマエダさんが「いつでも直せます、大丈夫です」と励ます。櫛を右手に、ヘアスプレーを左手に持って笑いかけられ、愛染くんが小さく頷く。
風が吹くたびに繰り返されるこの一連の流れ、かれこれ3回目のやりとりである。
ビュウ。
また風が強く吹いた。
これは、まずいかもなぁ。今日の撮影をやめるかどうかの議論が始まるのも時間の問題だ。
ところで、
「アレってどれですか」
冒頭の言葉にようやく返事が出来た。気になってはいたのだ。
カズさんは暇つぶしに噛んでいたガムを包み紙に吐いて、こちらを見た。この様子だと禁煙はまだ継続出来ている様だ。
「愛染だよ」
そう言って、カズさんは自分の人差し指で首を指す。
俺は愛染くんに目線をやって、すぐに反らした。
疚しいことはない。ほら、彼はまだ、若いんだし。
まあ、往々にしてあることだ。
「……見えるところにありました?」
声を潜めて、そっと仕事道具を引き寄せる。
「襟元だからなあ、隠れるけど。まー、ギリギリだな」
ありゃりゃ。口から出た意味をなさない言葉に、カズさんが笑った。
しかし、あれだ。彼が気づいてないのは珍しい。いつもは、わざとらしいほどに申し訳ないという顔で、「コレ、消せますか」と言ってくるんだけどな。
箱の中から数点引っ張り出したメイク道具を手に、俺は青い顔で震える色男へと近づいた。
「愛染くん、ちょっといい?」
そう声をかけて襟元を指で指すと、愛染くんは不思議そうな顔をした。相変わらず前髪は抑えたまま、首を傾げる。
(あ、これ。本当に気づいてない)
チラリとリキッドファンデーションを見せると、彼は目を丸くした。「えっ、」と吐息のような音を唇の隙間からこぼす。それから金城くんを見て、次にマエダさんを見て、最後に俺を見て、慌てて首に手をやった。
動揺しているようだ。
僅かに赤くなった頬を見てしまうと、場所がずれてるよ、とは言えない。
「消したほうがいいよね」
「お、ねがい、します」
目を白黒させて頷く愛染くんを、近くの折り畳み椅子に座るよう勧める。それに従う愛染くんの後ろから、揶揄いの声がかかる。
「さすが。プレイボーイは違うな」
愛染くんが振り向いてギロリとねめつける。美人特有の迫力のある怒り顔を見ても、金城くんはニヤニヤと笑うだけだった。
「……うるさいよ」
絞り出すような憎々しげな声は、どこか不貞腐れた子供みたいだ。
おや、と思う。
喧嘩にならないんだな、と失礼ながら思ったりもした。だって、この2人は、いつもなら。
そこで、何かが引っかかったのだ。
が、愛染くんがいつもより乱暴な仕草で椅子に座ったのを見て、慌ててポケットから使い捨てのパフを取り出す。
風が弱まってきた。もしかしたら、もう少しで撮影が始まるかもしれない。それまでには消しておかないと。
「ごめん、少し下げるね」と声をかけて襟を下げると、愛染くんの白い首筋が露わになる。僅かに心臓が跳ねた。
見えそうで見えない、言い換えれば、見えなさそうで見える。絶妙な場所にある痕。愛染くんのことをよく分かっていないと、この場所にはつけられないなと思う。
しかし、何処のかわいい女の子なんだろうか。こんな風に痕をつけることが出来るってことは、ちょっと独占欲の強い子なのかもしれない。
愛染くんに気付かれないように、でも確かに自分のものだと主張したくて。
そう考えると、かわいいかもしれないな。
ファンデーションの染み込んだパフで軽く叩くと、痣のようなそれは薄れ、キレイに彼の肌に馴染んだ。
「風が収まったので、すぐに撮影に入りまーす」
阿修くんの祈り、もしくは呪いが効いたのか。あれだけ暴れていた風が、ピタリとおとなしくなった。
愛染くんが「ありがとうございました」ときまり悪そうに椅子から立ち上がって、直ぐのことだった。
慌ただしくなった現場で、マエダさんも慌てて彼の前髪に取り組んでいる。
阿修くんは「よおし、やるぞー」と旗を振り回し、A&Rの子に止められていた。「危ないですよ」と言って彼女が慌てるのが面白いのか、風が止んだことが嬉しいのか、ニコニコ笑っている。
ふと金城くんを見た。
彼はフードを目深にかぶって、ズボンのポケットに手を入れ、こちらを見ていた。
しっかりと、こちらを見ていた。
「THRIVEさん、スタンバイお願いします」
はい、という3人の声が揃う。
動き出した金城くんとすれ違う。彼の口元が笑った。
◆
「どうしたんだよ、ボーっとして」
カズさんが、俺の背中を叩く。驚きでビクリと体が跳ねた。
「いやぁ」
不明瞭な言葉が、口の中で転がる。
撮影は順調に進んで、彼らは今、A&Rとともに撮影データのチェックをしている。
「あてられたというか、なんというか」
俺にもよく分かんないんっすけどね。いや、本当に。
「愛染か?なんだよ、一丁前に惚気でもしたのかよ」
カラカラと笑うカズさんが、カメラのレンズフードを触る。言葉遣いはいつでも乱暴なくせに、相棒のカメラにだけは優しいのだ。
「はあ。……愛染くんなら、よかったんですけど」
言い淀んでしまった後半の言葉は、撤収の声に負けてしまった。
カズさんがカメラケースを取り出す。今日の撮影はお仕舞いだ。
風はあれから強くなることはなかった。
「まあ、アイツもまだ若いんだ。多目に見てやろうぜ」
よっこいしょ、という声とともに、カメラが三脚から取り外されていく。
片づけの邪魔をする気はない。俺も使い終わったメイク道具を箱にしまうことにした。
「見えない場所だと、思ったんですけどね」
アレはどういう意味だったのか。驚いた俺に向けられた、あの視線は何だったのか。
聞けるはずもないので、俺は何にも気づかなかったふりをする。
疚しいことはない、はずだ。ほら、彼らはまだ、若いんだし。
まあ、往々にしてあることだ。
別に、怖気づいているわけではない。それだけは言っておきたいのだけど。
……ただ、今度の撮影では、愛染くんの肌に何もついていませんように、と祈ってしまうのは許してほしい。
ああ、そうだ。呪文にでもして、唱えてみようかな。
