celery

 

素っ気なく白いプラスチックのフォークが野菜を運ぶ。口を開けて、一口。ぱくり。ゆっくりと閉じた唇からフォークが抜ける。
シャキシャキ。
気だるげに、柔らかそうな唇が動く。下唇にドレッシングがついているのに気付いたのか、チロリと赤い舌が覗いた。舐め終わった其処は、水気を帯びててらてらと光る。
シャキシャキ。
何回も噛みしめられる生野菜。動く細い顎。咀嚼回数を何となしに数えてみる。1、2、3、4、5……。
「ねえ」
丁度50を数えたあたりで、不快さを隠さない声がした。
「食べにくいんだけど」
「最近お気に入りのデリサラダとか言ってなかったか?」
「そういうことじゃない。こっち見すぎだろ」
フォークの先がトントンとリズムを付けて、サラダの容器を叩く。
「何か言いたいことでもあるわけ?」
何、というか。
先ほどからじわりじわりと積もっていた感情は、つまり。
「キスがしたい」
俺は、ぼんやりと呟いた。
そう、キスがしたい。無性に。
それを聞いた男は、不明瞭な言葉を聞いたかのように眉をひそめた。
「え、誰と」
「お前と」
「あ、そう」
断じて言っておくが、俺はただのアイドルグループのメンバーに向かって「キスがしたい」言っているわけではない。そりゃそうだ、こんな台詞を阿修に言ったりしない。
俺はまぎれもなく、恋人に向かって「キスがしたい」と言っている。それは間違いない。
何を隠そう、このサラダを突きながら、「誰と」などと恍けくさった男こそが、俺のパートナーだ。
勿論、キスだって初めてするというわけでもない。この男との初めてのキスは、その白い手のひらで転がされるがごとく、ムード作りから舌を絡めあうまでまるっきりリードされ、唇を離した途端、それはもう満足そうなドヤ顔を見せつけられて終わった。悔しさと情けなさとまんざらでもない気持ちでいっぱいいっぱいの俺は、とりあえずその顔に見惚れるしかなかった。
理由?すげーエロかったから。
「今、したいの?」
俺が過去に思考を飛ばしていると、フォークをフラフラと揺らしていた愛染がそう言った。
「え」
「キス」
そう言った彼の顔は、スの形で尖った唇以外はビスクドールのように硬かった。自分の思考は悟らせず、俺の真意を確かめるように目を瞬かせる。ぶっちゃけ、何を考えているのかまったく分からない。だけど、そういう探り合いの駆け引きでは、余程の奇襲でも仕掛けなければ愛染に勝てないのだろうことは分かっている。
「したい」
そりゃ、OKが出るのなら。とりあえず、俺には策略を考えるよりも欲を優先させることにして、感情を隠すスカイブルーを見つめ返す。
「そう」
ふい、と愛染が目をそらした。おざなりにフォークを手放した白い指が、ゆるゆるとその唇をなぞる。
なんとも悩ましい光景だ。ごくり。つばを飲み込む。
愛染は逸らした視線をぼんやりサラダに注ぎ、もう一度、そう、と吐息を漏らした。
「でも。今は、セロリが歯に挟まってるから無理」
「は?」
「セロリが挟まってるから、したくない」
セロリ。セロリ、ときたか。きゅっと閉じた唇の向こう、白い歯の間のセロリに俺は負けたのか。……いやいや、期待させといて、そりゃないだろ。嫌なら嫌で、もう少しマシな言い訳持ってこい。
「つーか、セロリぐらい我慢できねぇのか前髪バカ」
「前髪バカって言うな!あと、セロリぐらいって何!俺にとっては大問題だから!!」
「はあ?どこがどう問題なんだよ!」
「だって、格好悪い、し!恥ずかしい、だろ!」
ダン。と叩かれたテーブルが微かに揺れた。
「考えてみろよ。唇合わせて、舌でこじ開けて、歯列なぞってるときにセロリだぞ!セロリ!!さすがに萎えるだろ!それで、今度キスするときに、お前が!そういえばこの前はコイツ、セロリが歯に挟まってたな、とかって思い出すだろ!嫌だろ!俺とのキスをセロリで覚えられたら!!」
絶対無理!と激昂して立ち上がり、愛染は机を叩く。
俺はそれを見上げる。興奮したその頬が桃色に染まっている。
とりあえず、アレだ。その訳の分からない言い分はともかく、萎えはしないな、と思った。
「俺がセロリを気にしなきゃいい話だろ?」
「違うってば!そうじゃなくて」
ダンダン叩かれる机の上でフォークが跳ねる。ぐだぐだと、うるせぇなあ。これだから、この格好つけたがりはめんどくさい。
「じゃあ、舌入れねぇから」
「……、それも無理」
「なんでだよ!」
精一杯の妥協すら断られ、もうキスなんてどうでもよくなってくる。いや、よくはない。よくはないけど、今すぐでなくてもいいんじゃないか?という気持ちがじわじわ広がってきた。なんと恋人思いなんだろうか。涙が出る。
しょうがない。ここは、一旦仕切り直し、
「俺が、我慢できなくなっちゃうからだよ!」
思考を邪魔するように、愛染が声を荒げた。その必死な言い分に、熱の隠せない眼に、喉が鳴った。……そりゃあないだろ、愛染。
墓穴掘ってどうする。折角潜めてやろうとしていた「何とかして触れたい」という気持ちに、完全に火が付いてしまった。
だから、今頃ハッとしたような顔しても、遅い。
「ま、って。ごうし、そういうつもりじゃ、ちがっ」
「違わねぇ」
テーブルの上に突いていた手を上から抑え込み、逃げ腰になるのを引き留める。失態に気付いたところ悪いが、いつもの余裕ぶっこいた仮面が剥がれているところを、俺が見逃すとでも思ってんのか。だとしたら、らしくもなく暢気に構えすぎ、見くびりすぎだ。出来る限り優しく接してやりたい気持ちもあるが、チャンスはものにしてこそ。それに、逃げられると追いたくなるのが男の性だろ。まあ、コイツも男なわけだから、そういうところは好意的に理解してほしい。
「や、やだ!絶対やだ!!」
何とか手を抜こうと愛染がもがいている間に、立ち上がる。身長差を恨めしく思いながらも、焦りを浮かべた顔を見上げる。愛染が息を呑んだ。
「愛染、」
その囁きの甘さを、腹の中で笑う。いつもより低い欲を隠そうともしない声。それから逃げるようにぎゅっと目をつぶったのを確認して、手を開放する。同時に、首に腕を回して引き寄せる。
「今のは、お前が悪い」
グッと顔を近づけて、音を立てて唇に吸い付く。まだ逃げようとしている身体を、チェアへと押し戻す。ビクリ、と愛染が震えた。結ばれたままの唇を解すため執拗に触れ合わせ、唇を尖らせて数回啄ばむ。息継ぎついでに、しばらくは開かないであろう強情な唇に息を吹きかけ、駄目を押しておく。
「我慢できなくなったら、ちゃんと言えよ?」
ピクリと長いまつげが震え、目が薄く開いて熱をチラつかせた瞳が覗く。愛染の悔し気な視線を無視して、再び口を塞ぐ。くうん、と鼻から抜けた声は、子犬が遊びに誘っているかのようで、罵倒文句にしては随分甘かった。