剛士がその植物を育て始めたのは、確か3ヶ月位前だった。
◆
その日、1人での仕事を終えた剛士は、大きなビニール袋を持って帰ってきた。
白いビニールの隙間からは、大きな植木鉢やら腐葉土やら肥料やらが覗いていたのを何となく覚えている。
偶然にもアイツが自室に入る前に廊下で会った俺は訝しく思って、「なにそれ」と聞いた。というのも、剛士は悠太と違ってあまり無駄遣いをしない男だったからである。必要なものを必要な時に買うというスタンスで、それ以外はキッチリと貯金に回していると聞いていた。
「種、貰ったから」
剛士はジーンズのポケットから茶色の紙袋を取り出して、なんてことないように言った。その袋には、花の名前も野菜の名前も書いていなかった。
「何の種?」
「欲しいものが手に入る種」
「え?」
「…そういう売り文句の、種」
「ああ、そう」
どこかぼんやりした剛士は、それだけ言うと静かに自室へと消えた。アイツがそういった願掛けを売り文句にしたモノを信じるなんて珍しいこともあるものだ。
◆
「そう言えば、もう芽は出たの?」
少し疲れた顔でリビングに入ってきた剛士を見て、例の種のことを思い出した。あれから1ヶ月は経っていたから、順調に育っていたなら芽ぐらいは出ているだろうと軽い気持ちで尋ねる。俺の質問を聞いて目を丸くした剛士は、たちまち頬を緩ませた。あの、剛士が。
「おう。芽も葉も花もでた」
「え、もう花が咲いたのか?どんな花だよ」
「でも、まだまだ小さ過ぎる」
剛士は俺の言葉を無視して、分かりやすく顔を曇らせる。
何だろう。さっきから、もやもやする。ちゃんと目が合わないからだろうか。コイツはいつも、その真っ直ぐな目をジッと合わせて会話するやつだから。
…ん、まあ、いいか。それだけ熱中して、愛情を込めて育てているんだろう。何かに愛情を持てるなんていいことじゃないか。
「栄養が足りないとかじゃないか?」
「肥料の量は、たぶん足りてると思う」
「そうか。…う~ん、植物に話しかけるといいとかっていうのは、聞いたことあるけど」
「話しかける?」
まあ、植物相手に話しかけるっていうのは、些か恥ずかしいかもしれないが。科学的に証明されていたのかどうかさえもうろ覚えだし。
「褒めるといいらしい。色や形が綺麗だな、とか、元気に育っていい子だな、とか」
「ふうん」
てっきり、「そんな恥ずかしいことできるか!」と怒鳴られるだろうと思って身構えていたのに、剛士は「じゃあ、やってみる」と言い置いてキッチンへと去っていった。
おいおい、どれだけその植物に入れ込んでるんだ。しかし、あのツンツンした剛士をこんな風にまるくするなんて、どんな花なのだろう。
フワリとわいたその興味は、次の瞬間、扉にぶつかるようにして帰ってきた悠太のせいであっという間にどこかに飛んで行ってしまった。
◆
それからまた1ヶ月後、3人でスタジオへ向かう廊下で、剛士はハミングしながらスキップでも始めるんじゃないかと思うぐらいに上機嫌だった。本当に正直気持ち悪いくらいで、さすがの悠太も怯えるくらいに。
「実が出来たんだ」
理由を聞くと、アイツはそう言った。「み?」と首を傾げる悠太に、剛士が植物を育てていることを話す。しかし、実が出来るなんて、ミニトマトみたいな野菜の種だったのだろうか?
「その実って、食べられるのか?」
「いや、まだ食べれない」
「たくさん出来る?僕も食べてみたい」
「やらねぇよ!ひとつしかできねぇからな」
でも、ひとつあればそれでいい。
うっとりという言葉がぴったりの表情に、俺と悠太は顔を見交わす。常時とは言わないまでも、俺たちの前ではほとんどの時間を仏頂面で過ごしている剛士が(それが自分たちのせいだという事実は、今は横に置いておくことにする)、口元を緩ませトロリと目を細めている。異様だ。ベッドから落ちて頭でも打ったのだろうか。
「なんか、ごうちん、へん」と呟いた悠太の手をそっと握る。こちらを向いた不安げな瞳に、同じように不安な顔をした俺が映っていた。
◆
次の日行われる収録の台本を見ていると、悠太が顔を青くしてリビングに入ってきた。泣きそうになりながら寄ってきたので、どうしたのかと聞くと、「ごうちんが」と言って言葉につっかえた。
「剛士が?」
「…いま、ごうちんの部屋の前を通ったんだけど」
「だけど?」
「部屋の中から声が聞こえたから、誰かと喋ってるのかなって。電話とか」
「うん」
悠太の大きな目が忙しなく揺れる。パニックを起こしているようだ。あ、とか、う、とかの声が漏れ、かすかに震える背中をできるだけ優しくなでる。どうしてだか、俺の手も震えている。
「きれいだな、って言ってるの。ホンモノみたいに、キレイなメだなって」
ゾワリと肌が粟立つ。なんだ?何かが頭の端に、引っかかっている。
芽?どうして今更。
「それで…、」
その時、ガチャリとリビングのドアが開いた。
ヒッと悲鳴をあげた悠太が、俺の背後に回る。
入ってきたのは、剛士だった。実をつけたと言ってからずっと様子がおかしく、悠太と心配をしていたのだが…。
「あ?どうしたんだよ。阿修」
「…ごうちん?」
「なんだお前ら、男同士ピッタリくっついて。気持ちわりぃ」
「ごうちん、もとにもどったの?」
顔を顰めて悪態をつくその姿は、まさに俺たちのよく知っている金城剛士だった。俺の服の裾をきつく握りしめていた悠太の力がゆるゆると抜ける。「はあ?」と首を傾げた剛士は、安堵する俺たちを不審そうな目でねめつけた。
「よかった、きのせいだったんだ」
悠太がぼそりと声をこぼす。
「訳わかんねぇこと言ってんなよ」
不快さを隠さない声でそう言うと、剛士はキッチンへと足を向けた。俺と悠太はそれをしばらく見送り、そして顔を見合わせ眉を開いた。
◆
そろそろ眠ろうと自室に向かっている途中、剛士が部屋のドアの前に立っているのが見えた。なにかあったのだろうか。ちょっと前までは、用があるとこっちの都合なんて関係なしに言い募っていたのに。
俺がなんと声をかけようかと迷っていると、アイツがふと顔を上げた。
何もおかしなことはない。気配を感じて顔を上げたのだろう。
なのに何故、俺はこんなにどぎまぎしているのだろう。
「愛染」
「ど、う、したんだよ。こんな時間に」
「見てほしくて」
とても無垢な表情だった。うんと幼い子どもが母親に向けるような。
見てほしくて。
何を。
何かを問う前に、剛士は俺の腕を引いた。グイグイと強い力が痛くて、顔がゆがむ。
痛い痛い。いたいよ、ごうし。
不平や不満を言う前に、剛士の部屋の前についた。
秘かに気に入っている、大きな手がドアのレバーを下げて押す。
扉が内側に開く。嫌にゆっくりと。ゆっくりと。
「ただいま」
剛士はそう言ってにっこりと笑った。
◆
部屋の中は暗かった。何も見えないまま、俺は中へと強引に押し入れられる。
剛士は後から入ってきた。ガチャリと何かの音がする。
鍵をかける音?
「愛染のおかげで、綺麗に育った。言葉をかけるなんて馬鹿馬鹿しいと思ったけど、どんどん綺麗になって」
そう言って、剛士は部屋の明かりをつけた。
パッとついた蛍光灯の光に目がくらむ。
一度、目を閉じた。
再度、目を開く。
目の前には『俺』がいた。
「おかえり、ごうし」
『俺』の唇は、確かにそう動いた。
それを追い風にするように、剛士の浮かれた声が部屋に響く。
「本物と同じぐらい綺麗なったと思う。肌のなめらかさとか、唇の赤さとか、髪の艶とか。あと、その透き通った瞳とか」
植木鉢の上で、『俺』は座っている。
薄く微笑んでいる。
『透き通った瞳』が、俺にはくすんで見えた。
吐きそうだ。
「髪を梳いてやると笑うんだ。かわいいって褒めると、頬がピンク色になる」
立っていられない。
毛足の短いラグの上に膝から崩れ落ちる。
それでも、俺は『俺』から目を離せない。
「ほんとうに、愛染のおかげだ」
興奮した剛士の声が、耳の後ろからする。
どうしてだろう。息が出来ない。
「だけど、このままじゃダメなんだ。コイツには中身がないから」
なかみ?
なかみって、なんだっけ。
「心臓がいるんだ。体を動かしたり、ドキドキしたり。俺を、俺だけを想って脈打つ心臓」
愛染の、心臓。
剛士の指が胸の上を這う。
目の前がゆがんだ。そんなに、そんなにお前は。
「おまえ。おれのこと、きらいなのか」
「すきだよ」
剛士はすぐに答えた。
「大好きだ。あいしてる。でも、お前は違うだろ?」
「おれ、は」
俺は。
俺は、歌がうまくてその分こだわりが強くて、まっすぐで男前でだけどちょっと臆病で、本当はとても優しくて思いのほかずっと仲間思いのお前が、大スキで。
おまえのスキは、おれのスキとは、ちがう、のだろうか。
いや、ちがうから、おれはいま。
「大丈夫」
なにが。
「全部ぜんぶ、いっしょになる。コイツが愛染になるだけだ。これからもいっしょだ。なんにもかわらない」
そう、なのか。
そうか。
「あいぞめ」
植木鉢の下から、何かが伸びてくる。あれは、何だろう。
「あいぞめ」
何か黒いものが俺の視界を奪う。温かい、てのひら。
それから、背中も温かい。抱きしめられている。
「あい、ぞめ」
どうしたんだよ。そんな泣きそうな声、出したりするなよ。剛士。
泣かないで、剛士。
◆
「っていう夢を見た」
「……。こわい!ごうちん、こわい!」
「ちょっとまて、俺は何にも悪くねぇだろうが!変な夢の話なんてすんなよ、愛染」
「いや、すごくインパクトが強かったから」
あんまりにも怖くて、寝汗掻いちゃったよ。と言うと、剛士が「お前、疲れてんじゃねえの?」と呆れた。
「でも、その変な夢の割にはよく眠れたみたいでさ。今日はお肌の調子がいいんだよね」
「ほんとだ。つやつやだね」
「でしょ」
「お前はいつでも綺麗な肌してるだろ」
「え?ちょっと、ごうし、やめてよ。照れるから」
頬が火照るのを両手で隠す。そういうことを悠太のいる前で言わないでほしい。二人きりの部屋で、あの甘い声で囁かれるのが好きなのに。顔を見せろと腕を引く力に負けて、手を下ろすと剛士が満足げに笑う。
その後ろで、悠太が唖然としているのが見えた。
「ほら、悠太が変な顔してる」
「あ?ほっとけ」
そう言って彼は、うっとりと俺の頬を撫でる。
そんな剛士の態度を見ながら、悠太が恐る恐る口を開いた。
「あ、ぼく。おなかすいた、な」
「朝ごはん?俺は今日も水だけでいいかな」
固形物なんて栄養にもならないのに、どうしてごはんなんて食べるんだろう。悠太がよく食べているお菓子みたいなパンを思い出して眉をしかめる。その顔を見た悠太は、青い顔をして「コンビニに、行ってくる」と部屋を飛び出した。なんだかとても恐ろしいものを見たような顔だった。…そんなに怖い顔をしていただろうか。
「そんなことより、着替えたいよ。剛士、部屋に鍵かかってたっけ?」
悠太が突き破る勢いで出て行ったリビングの扉に手をかけて、俺は剛士を振り返る。
剛士は今日も笑ってる。
「いや。……もう必要ないだろ」
「そっか」
そうだね、ごうし。
これからも変わらず、ずっといっしょ。
いっしょ。
なんにもかわらない。
