春空アンクレット

下記を見て、ダメだな!と思ったら回れ右お願いします。
・出会い妄想厨による何番煎じか分からない出会いのはなし
・なので、ゴウシは高1、ケントは高2
・普段のキャラとは少し雰囲気が違う
・名前のついたモブが出てくる。
・男子校がいい!→男子校なら工業高校!という謎の偏見によりあいまい知識が増しまし
・しかし、その設定はいかされていない
・そして、いろんなものがちゃんと消化されていない

 

ふわあ、と欠伸が出た。よく晴れた5月の空に雲はなく、涼しい木陰は心地が良い。食後で腹が膨れているのも手伝って、うとうとと眠気に襲われる。
俺がこの学校に入学してから、約1ヶ月と半分。まあまあ、平凡に学校生活を送れていると思う。やたらと多い教室の位置をようやく覚え、購買までの最短ルートをはじき出せるようになった。
そんな中でも一番の発見は、この居心地の良い裏庭の存在だ。立派な木々で囲まれたそこは、木漏れ日が優しく、風も通って過ごしやすい。そして何より人が来ない。
そう、人が来ないのだ。全くと言っていいほどに。
こんなに心地の良い場所、上級生ならとっくに見つけているだろうに。
いやあ、不思議なこともあるものだ。
と、俺が思うのには、この裏庭の場所が関係している。
うちの学校の校舎は3階建てで、基本的には王の字をしている。東側から第1棟、第2棟、第3棟でその中央を1、2階にある渡り廊下で結んでいる。さして大きくはない体育館が第2棟の北側にくっついているから完全な王の字とは言い切れないが、残念ながら俺には他に当てはまる形が思い浮かばない。
後々に必要になるから、各校舎内の主な施設をざっくり紹介しておく。まず、下駄箱や1,2年の教室、職員室は第1棟にある。実験室・工作室と、なぜ分けたのかは謎な3年の教室が第2棟に、コンピュータ関係の教室は主に第3棟にある。校舎の南側には主にサッカー部が活動しているグラウンドがあって、グラウンドと校舎の間にはボール避けにしては低いフェンスが張られている。そのフェンス越しに見える第1棟と第2棟の間が中庭、第2棟と第3棟の間が裏庭だ。実際棟と棟の間にあるただのスペースに決まった名前はないのだが、そう呼ぶ方が分かりやすいだろうと大半の生徒が庭と称して呼んでいた。
他に体育館の裏側にもスペースはあるものの、あそこは完全に隙間である。人ひとり通れるくらいの、庭というより通路だ。ジメジメしていて、隣にある雑居ビルのせいで常に薄暗い。渡り廊下の人ごみを避けて第1棟から第3棟へ行くためのショートカットに使われていたりするんじゃないかと思う。俺は使ったりしないけど。
と、まあ、俺の下手くそな説明でうまく校舎を想像できたならわかると思うが、この裏庭は教師のいる職員室や俺たち1年が普段使う第1棟からは遠く、3年の使っている第2棟の方が近いのである。つまり、普通に考えたら最上学年である3年のテリトリーになるわけだ。
そんで、話を元に戻す。こんな絶好の場所にその3年が来ないなんて、不思議なこともあるもんだなって思わないか?いや、まあ。ちょっと疑問に思うだけで、人恋しいのかというとそうでもないし、むしろ邪魔もなく快適に過ごせることに感謝してるんだけどな。
それにしても今日はいい天気だ。……眠い。ふたたび大きな欠伸が出た。特にやることもなし、昼休みの残りはこのまま寝ちまうか、と目を閉じる。このまま微睡みに身を任せるのもいい――。

ガシャッ!ガシャン、ガシャン!
出し抜けに、グランドと校舎を遮断しているフェンスが派手な音を立てた。
(うるせぇ)
眠りの邪魔をするように立てられた耳障りな音にイラつき、うっすらと目を開ける。
その瞬間、目の前に何か黒いものが落ちてきた。黄緑の葉っぱや折れた枝とともに勢いよく地面にぶつかったソレは、「ぐうっ」と呻く。
「は?」
俺は思わずそう口に出し、目を見開いた。そして、間抜けに目線を上にやり下にやりを繰り返した後、やっとその黒いものが人だと分かった。いきなり人が落ちてくるなんてそうそうない貴重な体験なので、理解に時間がかかったのは許してもらいたい。
「……い、てぇ」
木の上から落ちてきた茶髪の男はうずくまり、地面を引っ搔いて「いたい、いたい」とかすれた声を出している。こんな時、優しく善良な生徒ならば「大丈夫ですか」だとか「保健室の先生、呼んできます!」だとかそんな感じで声をかけるのだろう。残念ながら、俺はそこまで気の利く人間ではなかったので、この木の高さから落ちたぐらいじゃ痛ぇで済んじまうのか、なんて考えていた。
「あ、あ、い、いたい。……あ」
そんな風に暢気に様子を見ていた俺を、身悶えはじめた男の目が捕らえる。その目は一度大きく見開かれ、次に困惑して泳ぎ出した。
そりゃあ、痛がっている自分を声もかけず観察している野郎がいたら、動揺もするだろう。わざわざこの場所を選んで落ちたのも、人がいないと思ったからだろうし。
目があった途端、男が痛みを訴えるのをやめたので、裏庭にはまた元の静けさが戻った。……静かになったところでもう寝る気にはならないが。
とりあえず、あれだ。こういう場合は見て見ぬふりをしてやるのがいいのかもしれない。幸いかどうかは微妙だが、目撃者は俺だけだし、痛いだけで骨が折れているわけでもなさそうだ。そのうち回復すんだろ、と腰を上げる。
すると、男が慌てたように「待ってくれ」と声を上げた。
「情報、準備室っ!ぅぐ、ケントに渡してくれ」
「は?」
切羽詰まったのか、痛む体を引きずって近寄って来ようとする姿に今度はこちらが驚く。懸命に伸ばされている手には、青色のUSBメモリが握られていた。
「たのむ」
男の腕がぷるぷると震える。俺はいささか困惑してソレを視界に入れた。

……んで、結局、受け取っちまった訳だが。
昼休みも半分が過ぎたというのに、俺は何をしているんだろう。自分で思っていたよりもお人よしだったんだろうかと、階段をダラダラ上りながら苦笑する。
男の言った『情報準備室』というのは、この第3棟の3階にある部屋だ。主に情報技術科の生徒が使う第2コンピュータ室の隣にある。教室自体が広いからなのか、1階にある第1コンピュータ室には準備室がない。俺はそっちにしか入ったことがないから、実を言うとこの棟の3階には今日初めて足を踏み入れる。そんな俺が情報準備室の場所を知っているのは、ひとえに有意義な学校生活を送るという目標を掲げて、この無駄に広い校舎に早く慣れようと学校案内図を睨み続けた結果に他ならない。
だから、場所は知っていた。受け取ったUSBはちゃんとポケットに押し込んである。
しかし、その反面。俺は『ケント』とやらが誰なのか全く分からない。
あの男は「情報準備室」「ケント」としか言わなかったから、これで情報準備室にケントという奴がいなかった場合、完全に詰む。
(それに、ちょっとまて。今気が付いたが、俺はあの茶髪の男の名前すら知らないじゃねぇか。いったい誰から頼まれたんだ、と言われでもしたらどうしたらいいんだ?)
困った。そもそも、木から落ちた痛みより優先されるUSBとは何なんだ。そして、身体に鞭打ってまでそれを届けなければならないケントという人物とは、どんないかつい野郎なんだ。
そんなことを考えているうちに、3階までやってきていた。第2、第3と一目でメインではないと分かる予備の番号をつけられた教室名のプレートが並んだ廊下は、いやに静かで人の気配はない。壁に設置された非常ベルの上、真っ赤なランプがぼんやりと浮かんでいる。
……引き返したくなってきた。
こう、あれだ。雰囲気が嫌だ。思ったより薄暗いのも嫌だ。昼間じゃなかったら、絶対来ねえわ。
さっさと行って、さっさと帰ろう。そうしよう。と足を踏み出す。皮肉なことに、目的の情報準備室のプレートは廊下の突き当りに掛かっていた。
ここでやっぱり引き返すという選択ができなかった俺は、やっぱりかなりのお人よしだと思う。

ここだな、情報準備室。と、プレートを見上げる。
その部屋はすりガラスの覗き窓が入った開き戸で廊下と分けられていて、普通の教室の半分ほどの大きさしかないのが外からでもわかった。
(ノックって、すべきなのか?)
普通の教室にはいる時にノックなどしたことがない。
(ノックをするのなんて職員室ぐらいか?あと、校長室とか?ドアに鍵穴があるから、鍵がかけられる部屋ってことだろ?やっぱり、ノックか?)
中の様子をそれとなく窺いながら、握りこぶしを作る。思い切って打ち付けようか、とドアに近づいたとき、中から小さく話し声が聞こえた。
「……ころ……たら、……るん……の?じゃあ、……は………アン、たべ……から………かな」
途切れ途切れのその声は男のものだろうと思われた。扉が厚いのか、はっきり聞こえない。
灰色のドアに耳を押しつける。ひんやりとしたスチールの感覚に少し体が震えた。
「……じゃもう、我慢できない……。ふふ、俺も愛してるよ」
……。
(ん、んん?なんというか。拾える単語がかなり、アレじゃね?ど、どうする?入る?え、俺入るの?この中に?かなりハードル高くね?)
動揺して疑問符ばかりが頭の中に浮かぶ。だって、お前アレだぞ。ドアを開けてみたら中でこう、色々と出来上がってたらどうすればいいんだよ、って話だろ。
と、あまりに混乱していた俺は、扉の向こうからペタペタと上履き独特の足音が近づいていたことに気付かなかった。
だから当然、ぐいっと勢いよく内側に引かれたドアに対処できる訳もなく、ドアへと預けていた体は重力に引っ張られて、床へと倒れる。咄嗟に受け身がとれていなければ頭を強く打っていただろう。危ねえ。
「盗み聞きなんて、趣味が悪いね」
突然の出来事に目を白黒させていると、上から滑らかな声が落ちてきた。床に這いつくばったままで、声の主を仰ぎ見る。目に飛び込んできたのは、少し前まで見ていた春の空色だった。
「え?ああ、うん。たぶんお客さんかな。……うん、そうだね。また、後で」
片手に持った白いスマホに耳を当てていた男は、そう言って通話を切り上げる。そしてその画面から顔を上げ、訝し気な視線を俺に向けた。眼鏡のレンズが僅かな光を反射して眩い。
「……そろそろ立ってほしいなあ。ドア、閉めたいし」
「あ、ああ。悪い」
男の言葉にハッとして立ち上がる。たちまち、ぞんざいに廊下の方へ押しのけられた。
じゃあ、という声とともに、開き戸が閉まりかける。そこで、俺はようやくこの場所に来た目的を思い出した。
「ケントってヤツを!えっと、ここにいるって聞いて、探しに来たんだけど」
「……へぇ。なんで?」
中途半端に残った扉の隙間の向こうで男が小首を傾ける。空色のやわらかそうな髪がふんわりと揺れた。
「渡すものがある」
慌てて例のUSBを取り出す。手のひらに乗せて差し出すと、男はポツリと「ヨコシタか」と言った。
「横下?」
「トカゲだよ」
男は答えになっていない返答をして、何か思案する表情で顎に指をあてる。
横下がトカゲとはどういう意味だ。ペットの名前か、知り合いのあだ名か、それとも何かの暗号か。
なぞなぞの答えを探すような心持になっていると、男の口が開いた。
「これ、何処で渡されたの」
「裏庭で寝てたら、上から落ちてきた男に渡された。情報準備室のケントに渡してくれって」
「ふうん。……ちょっといい?」
俺の言葉に一瞬憐れむような顔をした後、男はドアを開けて廊下に出てきた。その足で廊下の反対側にある窓から外を覗く。
よくよく見るとひょろりとした優男だ。床から見上げていた時も思っていたが、背が高い。フレームの太い眼鏡に隠れているが、顔立ちは悪くない。
「アレ、見て」
スッと白い人差し指が窓の外を示す。男の隣に移動して、同じように窓の外を見ると、丁度真上なだけあって裏庭の様子がよく分かった。木々に囲まれた裏庭の第2棟側、中央より少し渡り廊下に近い位置に茶髪の男が倒れている。
(……ん?何だ?何か違和感があるような)
「あの倒れてるヤツ。あの男に渡されたんでしょ」
「あ、ああ、そうだ。あの茶髪のヤツ」
違和感の正体がわからないまま、男の質問に答えた。
裏庭、倒れた男、渡されたUSB。……何だ?何かが引っかかっている気がする。
「上から落ちてきたっていうのは?」
「そのままの意味だ。上からアイツ、横下つったか?が、俺の目の前に落ちてきた」
「じゃあ、アイツは第2棟から落ちてきたってこと?」
「え?」
第2棟から?……そうか、それだ!
上から落ちてきた横下があの位置に倒れているということは、第2棟から飛び降りてきた、もしくは落とされたことになる。でも、俺はあの時確かに、ある音を聞いていた。
「フェンスの揺れる音がしたんだ。落ちてくる直前に!」
違和感の正体がようやく分かった。と、同時に疑問が生まれた。
横下が落ちてきたとき、アイツがいたのも俺がいたのも裏庭の中央よりフェンス寄りの場所だった。つまり、横下はフェンスをよじ登って、近場の木に飛び移った後に落ちてきたことになる。
「なんでアイツ、あんなところにいんだ?」
ところが今は、渡り廊下寄りに倒れている。しばらくは痛みで動けないだろうと思っていたが、這ったままあそこまで移動をしたのだろうか。
「キミ、意外と物覚えがいいんだねえ」
やんわりとした口調で馬鹿にされて、反射的に空色の男を睨みあげる。
「ああ?」
「横下は沼津たちと繋がっちゃったんだろうなあ。あーあ、結局しっぽになっちゃった」
マネキンみたいな無表情から最小限の動きで放り出された言葉。それがじっとり湿っていることに戸惑う。
(なんだよ。調子狂うな)
「お前さあ、さっきから訳わかんねえことばっか言ってんなよ」
「沼津って男は、キミも見たことあると思うけどね。しっぽっていうのはトカゲのしっぽのこと」
そう言って男は足早に引き返し、静かにドアを開けた。俺の頭には疑問しか残っていないのに、全てを理解した顔をしているのが納得いかない。
「おい」
「あ、入ってく?」
不意に振り返った男が、指の間に挟んだUSBメモリを見せつけるように手首を左右に動かす。
「キミの知りたいこと、教えてあげてもいいよ」

部屋の中は海の底のようだった。青色のカーテンのせいだろうか、それともディスプレイの明かりのせいだろうか、白い蛍光灯が浮かび上がらせている空間は、全体的に薄青い。直接日が差していないせいかヒンヤリとした空気の中、微かにファンの音が聞こえる。
部屋の右奥には大きなソファが置いてあり、その上には雑誌やら本やらが積まれていた。その横にある本棚にも専門書の類がぎっしり詰まっている。左奥には隣の第2コンピュータ室に繋がっているだろう鍵付きのドアと窓際に横長の水槽が1つ。その手前、中央の位置に保健室で見たことのある白いパイプベッドが鎮座している。シーツが少しよれているので、俺が来るまではここで過ごしていたのかもしれない。
男が部屋に入るなり向かった右手前の方向には、この部屋のメインであろう机があった。その上に起動している自作らしきパソコン本体とディスプレイが3つ、はみ出しそうになりながらバランスをとっている。その隣に置かれた長机の上には、さっきのより大きめのディプレイとノートパソコン、タブレット、それから黒いスマホが20台ほど並んでいる。
そんな中、手すりのついた事務椅子にストンと腰かけて、長机に置いてあったタブレットをいじりながら薄笑いを浮かべる男は、ひどくこの空間に馴染んでいるように見えた。
「好きなとこに座って。ああ、パイプ椅子ならベッドの下にあるから」
そう言われてベッドの下を覗き込むと、畳まれたパイプ椅子が3つ並んでいた。銀色の部分が一番綺麗なものを選んで引っ張り出し、ガシャリと開いて長机の近くに腰を落ち着ける。それに合わせてこちらへ向き直った男が話を切り出した。
「まずは、自己紹介しておこうかな。もう予想はついてるだろうけど、俺がキミの探してた『ケント』ね。情報技術科2年、愛染ケント」
よろしくね、とケントが口角をあげる。
確かに薄々そうだろうなと思ってはいたが、俺が想像していたのはもっといかつくて、がなり立てるのが似合う野郎なわけで。
(想像と現実とのギャップがありすぎだろ)
現実のケントときたら、タブレットの上を滑る指は細長く、ちょっと嫌味っぽいけど口調は穏やかだ。正直言って、横下はなぜ焦ってたんだと思うくらいには無害なヤツに見える。
「どうしたの、その不満気な顔」
何も言わない俺を不審に思ったのか、ケントが眉をひそめた。知らず知らず考えが顔に出ていたらしい。
「何か、思ってたのと違った」
「ええ?失礼な人だなあ」
「横下が怯えて震えてたから、もっとゴツくて強そうな男だと思ってた」
隠すつもりもなくそう言うと、ケントはきょとんとして何度か目を瞬かせた。そして、片手で口元を押さえて俯いた。
「ふっ」
「な、どうした」
「くっ、はは。まって、ちょっとまって。あはは」
「てめぇ、何笑ってんだよ!」
けらけらと中々止まらない笑いに、カッと顔が熱くなる。
(何もおかしなこと言ってないだろ!)
直前まで全然笑ってなかった寒色の目が、温度を得てわずかに潤む。長いまつげがフルフルと揺れる。それが余計に羞恥心を煽った。
「っは、ああ笑った。意外と面白い奴なんだなあ、金城ゴウシくん」
「は?ふざけん……、なんで俺の名前」
「ひょろくて弱そうに見える俺はさあ、まったくキミの言う通りに喧嘩が苦手なんだよね。でも時には腕っぷしの強さより怖いものがあるの、知ってる?」
知識とか情報とかって名前なんだけどさあ。
先ほどの笑いが残った声とは対照的に、挑戦的なケントの瞳が俺を映した。
「っ」
「まあ、ゴウシくんは結構有名人だからね。この学校の奴なら、よっぽど他人に興味がない奴以外は名前を聞いたことあると思うよ」
「……有名、人」
「そう。ゴウシくんってば、調子乗ってんじゃねえよって3年のグループを気晴らしにボコボコにして、たまり場だった裏庭を無理やり奪い取ったそうなんだよ。すごいよねえ。こわいよねえ」
お手本のような完璧な笑顔だ。テレビの中で俳優なんかが予め決まっている質問に答える時に浮かべるアレ。それが、スッと消えた。
「っていうのが、今学校中で流れてる噂。……でも本当は、キミに関するところだけ違う。そうでしょ?」
その瞬間、背筋に寒気が走った。無防備な俺の内側を緩い力で撫でられているイメージが襲ってくる。
3年のグループ、裏庭、ねじ曲がっている噂。俺はもちろん知っている。当事者だからだ。
けど、コイツはなんで本当は違うって言い切れるんだ。
俺が警戒を表に出したのを見たケントは、嬉しそうにおしゃべりを続けた。
「きっかけは、小さな黒猫。飼い主が少し目を離した隙に迷子になっちゃった好奇心旺盛な子猫ちゃんは、あろうことか裏庭にたどり着いちゃったんだ。そこで、例の3年グループに見つかっちゃったんだなー。不運だったのは、グループのリーダーが猫嫌いだったこと。小さいときに猫に引っかかれてそれがトラウマなんだって。だからソイツは、その迷子の子猫ちゃんを見つけた途端、乱暴にも蹴飛ばそうとした」
そうだ。そうとも。アイツは人にビックリして逃げようとした猫を蹴飛ばそうとしていたんだ。
だから、勝手に体が動いた。
「そこで救世主が登場したんだよね、ゴウシくん」
「俺は、ただ猫を庇っただけだ」
守らないと、と思った。小さなものは、力の弱いものは、いつだって不利だ。力の差が歴然としているのを良しとして暴力で理不尽に押さえつけられるなんて、それをただ見ているだけだなんて、もうごめんだ。
強い力を持つものは、害を持たないものに手を上げるべきじゃない。そうした力は、弱いものを守るために使うものだ。だからそのために、俺はうんと強くなることを決めた。
身じろいだせいか、パイプ椅子がギシリと鳴った。その音を不快に思いながら、黒いスラックスを履いた自分の足に視線を落とす。
「子猫を守ろうと飛び出してきたキミを囲んでアイツらは殴ったし、蹴った。多少強めに殴り返したとしても、俺は正当防衛だと思うよ。ああそれから、裏庭に誰も来ないのも、キミが思ったより強いってわかったアイツらが勝手に警戒して避けているだけだ。キミが奪い取って、独占してるわけじゃない」
「……どうしてお前は、そんなに詳しく知ってるんだ」
ゆっくりと顔を上げた俺に、ケントはいつの間にか手に持っていたリモコンを見せた。電源ボタンが親指で押されると、長机の上の大きめのディスプレイに学校内の様々な場所をいろんな角度から切り取った映像が映る。
「自分の目で見たから」
「監視、カメラ」
「学生寮のも見れるよ」
見てみる?と軽く問われて、首を横に振った。コイツ、さらっと恐ろしいことを言うやつだな。
「プライバシーはどうなってんだよ」
「あ、心配しないで。人のマス掻きを覗く趣味はないから」
「……いや、それもそうだけど。そうじゃねえ」
大きなため息が出る。
なんとなく、ケントの口からマス掻きなんて言葉が出たことに衝撃を受けて、次いで微妙な気分になった。そりゃ何処をどう見ても男なんだけど、全体的に人形っぽいからか、もっと無機質な印象だったのに。
(いやいや、重要なのはソコじゃねえ)
「この学校、監視カメラなんてついてたんだな。全然気付かなかった」
背もたれに体を預けて呟く。パイプ椅子がまたギシリと鳴いた。
「学校側が自衛でつけてるんだよ。何かと物騒でしょ、この学校。俺がつけたしたのも、何個かあるけど」
「情報のためにか」
ケントは俺の質問には答えず、リモコンを使って画面を消した。これ以上は話す必要がないということだろうか。
なんにせよ、この学校内で起こっていることはほとんどが監視カメラに映るということだ。それを見ることができるケントは、その場にいなくても学校内の出来事を知ることができる。だから、噂が真実じゃないことを知っていた。そういうことだな。
「話を戻すね。横下が怯えてたのは、そんな噂が流れているキミが目の前にいたからだよ。落ちた衝撃で動けないのに、そんな怖い人に会っちゃったんだから」
「じゃあなんでアイツは、そんな怖い俺にわざわざUSBを預けたんだ?」
「横下にはそうしなくちゃならない事情があったから」
そうしなければならない事情。……それは、やっぱりケントにUSBを最優先に届ける必要があったということではないか。ということは、やはり大事なのはUSBの中身ということになる。
「そのUSBの中に、ずげえ情報が入ってるからか」
「ううん。俺の予想では、この中身は空だね」
「から?」
「うん、空っぽ。何にも入ってない」
ケントはのっぺりした表情でそう言うと、人差し指を使って青いUSBメモリを弾いた。カツンという音の後、長机を滑っていったそれは、床に置かれていたゴミ箱の中にストンと落ちた。ナイスシュートだ。ただし、それが燃えるごみであればの話が。
「後でちゃんと拾っておけよな」と言うと、「うん、考えとく」と何とも頼もしい返答が返ってきた。
「じゃあ、USBは関係ないのか」
「USB自体は俺のだけどね。それに情報を入れてくるって言ったのは横下のほう」
「お前が頼んだわけじゃないのか?」
「その説明をするには、まず俺の副業の説明からしないといけないんだよね」
えっとー、と気の抜けた声を出しながら机の引き出しを開けたケントは、1枚の紙を取り出した。綺麗にラミネートされたそれにはポップな書体で、情報料金一覧表と書いてある。
すぐ下に『情報は生ものなので基本的には時価です。』とあり、さらにその下に初回特別料金、情報追加料金などと書かれた表がくっついている。
「なあ、コレ」
「まあこんな風に、良心的なお値段で情報の提供をしている訳だけど」
「初回1万とか。ぼったくりじゃねえか」
「やっすい情報でよければ、自分で掴むべきでしょ。自分ではどうしようもないときに、学生でも払えるよう十分譲歩した値段設定だよ」
なるほど。そう言われると、妥当な価格のように思えてくる。
パンチの強さがすぐに身につかないのと一緒だな。何かを得るには、その分何かを犠牲にしないとダメってことだ。……たぶん。
「で、利用してくれているお客さんにはランクがあるんだよね。まず普通に料金を払ってくれる客、これがヒツジ」
「手紙を食っちまうヤツか」
「それ、ヤギだね。ヒツジはもこもこしたかわいいのだよ」
もこもこと言いながら、手をふわふわ動かすのが面白いなと思う。とはいえ、俺の頭の中のもこもこしたカタマリは、どうしても手紙を銜えて放さない。
「メェーメェー鳴くから一緒だろ」
「一緒じゃないけどー、まあいいや。ヒツジさんは、いい客だよ。ちゃんと一括で料金を支払って、あげた情報もちゃんと考えて使ってくれる」
ケントは机の上に置いてあったメモ帳をちぎり取って、ボールペンで綿あめを書いた。
「綿あめ」
「ヒツジだってば。でー、その下にネズミ」
ムッと唇を尖らせたまま、その下に黒い丸を重ねて3つ書く。
「有名なネズミだな」
「有名なネズミでしょ?で、このネズミっていうのは分割で料金を払ってる。最初に半分ぐらい払って、後は適当な回数で分割。勿論利子もつくよ。どうしてもお金を用意できないとか言って泣いたりするヤツもいるから、俺がこの情報持ってきてって頼んで、それでチャラにしてあげることもあるかな」
「横下は、トカゲって言ってたな」
「トカゲはネズミの下だね」
今度は、紙の上に黒くてぐにゃぐにゃした謎の物体が現れた。さっきから思っていたことだけど、コイツ絵の才能がまるでないな。
「全然トカゲに見えねえ」
「えー?ここがあたまで、こっちがしっぽで、これが手と足」
「歪んだノットイコールだろ」
「ト・カ・ゲ!」
もう、と膨れながら隣に描かれたのもやっぱり太めのぐにゃぐにゃしたノットイコールだったが、たぶん絵について追及していたら永久に話が進まないだろう。とりあえず、そのぐにゃぐにゃの記号をトカゲとして認識することにする。
「トカゲな。どんな客だ」
「最初から金がないから、必要そうな情報を探してくるっていう迷惑なヤツ」
「なんだそりゃ」
「あと、身体で払うとかって突然脱ぎだしたり、覆いかぶさってきたりするヤツもいた」
あの時はさすがに身の危険を感じたから、顎を力いっぱいぶん殴って廊下に放り出してやった。と、ケントが手をブラブラと揺らす。ソイツら、本当に情報が目当てだったのか?と聞きたいのをグッとこらえる。これ以上、その件に関して波風をたてることもない。気持ち悪い奴らがいたってことで、そっと置いておこう。
「トカゲの客はあんまり相手にはしないんだけど、切羽詰まってるのかすごく強引なんだよね。支払いとしてはいわゆる物々交換だから、あっちの情報を待ってから交換ってことになるでしょ?横下は、すごい情報を持ってくるからって空のUSBを勝手に持って帰ったんだよ」
「それが、さっきのUSBか」
「そう。だから、俺が頼んだわけじゃない」
だとすると、横下はトカゲとしてUSBを俺に託した。それは横下が、それと引き換えに何らかの情報を欲しいと思っていたからだ。
ところが、USBの中身は空っぽだとケントは言った。
それに。
「しっぽになったって言ってたよな。トカゲのしっぽ」
「うん。キミなら覚えているだろうなって思ってたんだ」
パチリと手を合わせたケントは、ノットイコールの端にまっすぐ線を引いた。
「トカゲがしっぽを切り離せるっていうのは知ってるよね」
「敵に襲われたとき、身を守るために捨てるんだろ」
「横下もそうだよ。自分の身を守るために、俺を切ろうとしてる」
廊下で裏庭を見下ろしながら話していた時と同じだと思った。淡々とした口調で出てくるのに、その声が湿っているように感じる。
「だから、切られる前に、俺が切る。トカゲのしっぽは、そういう意味」
「正当防衛だろ?」
「まだ、被害を受けてないし。危機回避ってことになるんじゃないかな」
被害を受けていないなら、そんな風に傷ついた表情をするもんじゃないと思う。害意のある相手から逃げるのは、当然だ。自分の身を守ることは、何も悪いことじゃない。
助けてほしい状況になった時に、誰もが味方になって必ず助けてくれるわけじゃないんだから。
「切ればいいだろ。ケントは、悪くない」
「……そう、だよね」
「そうだ。問題なのは、横下の『敵』が誰かだな」
そう言えば、コイツ、トカゲのしっぽの他にもう1つ何か言ってたな。ええと、なんだったっけか。誰かと繋がってたとか、俺も見たことあるとか。名前も言ってたはずだ。
たしか、沼津。
「沼津、って誰だ」
独り言のように口から出て行った疑問には、すぐに答えが返ってきた。
「コイツ」
途中から放置していたタブレットが差し出される。そこには一人の男の写真が写っていた。その写真の下には、『機械科3年:沼津ショウタ』と書かれている。
目が細く、金色の髪をしたソイツは、ケントが言ったように俺も見たことのある顔だった。
「2年の時は3年にペコペコしてたんだけど、最上学年になったことで気が大きくなったんだろうね。4月に入ってからあちこちで喧嘩売ったり、買ったりしてる。よく仲間たちと裏庭で屯してたけど、ここのところは主に第2棟の屋上にいるみたい」
「コイツが、横下の敵」
無言で頷いたケントが、チラリと壁に掛けてある時計を確認した。
「もうすぐ昼休み終わっちゃうから、情報として俺の考えを話すね」
少し早口で言われて、俺も無言で頷く。
「横下が俺のところに情報を欲しいって言ってきたのが、4日前。事情は知らないけど沼津たちをどうにかしたいらしくて、そのための情報が欲しいって言ってた。俺はいつも通り料金の話をしたんだけど、持ち合わせがないらしくて交渉は決裂したんだよ。でもどうしても情報が欲しかった横下は、沼津たちの情報を自分で手に入れようとした。もしかしたらそれを元手にして、もっと詳しい情報が欲しかったのかもしれないね。だけど、沼津たちにそれがバレた。脅されて、俺のことも吐いちゃったのかな。沼津たちはキミにボコられてから、キミに復讐する機会を窺ってた。キミの情報が手に入るならちょうどいいと思ったんだろう」
「なるほどな」
「まあでも、キミのおかげで評価の下がった沼津たちは3年の中では肩身が狭いんだ。3年の教室の並ぶ2階から渡り廊下を通ってこちらに来たら、俺を知ってる奴らに年下の情報屋へ泣きつきに行ったぞって思われる。1階の渡り廊下は、裏庭に君がいることがあるから通り辛い。それに気づいた横下は、今回の計画を思いついた」
「横下が?」
てっきり命令したのは沼津だと思い込んでいたので、一瞬思考が止まった。ボケっとした声が出た俺を見て、ケントは苦笑いを浮かべた。
「そう。この計画したのは横下だよ。まあ、それはちょっと置いておいて。今回の計画で、横下は俺を呼び出す係をかってでた。横下はトカゲとはいえ一応俺の客だし、都合がいいと言ったんだろうね。それで、横下はフェンスをよじ登って落ちた。2階から落ちるよりも痛くないと思ったのかな」
「すげえ痛そうにしてたけどな」
「だろうね。でも、演技だとバレないように、たぶん痛くなきゃダメだったんだよ。計画としては2階から落ちるべきだったけどね。で、そこで俺に連絡を取るわけ。沼津のいい情報が入ったけど気付かれて落とされたとか、ターゲットにばれて逃げているうちに落ちたとか。まあ、そんな感じで。俺には関係のないことだけど」
どうかな、と思う。関係ないと言いつつ、きっと廊下に出てコイツは横下の姿を確認するだろう。直接見れる場所だから、例の監視カメラを確認することもなかったはずだ。
「だから横下はそこの廊下の窓から見つけやすいあの位置に移動した、もしくはさせられたわけだな。そんで、直接USBを取りに来いってか」
「裏庭に沼津は来ないから、この場所が一番安心だって言うんだね。そこで移動した俺は沼津たちとバッタリってこと。俺の力じゃ沼津たちにはかなわないから、あるだけ情報を寄越せって脅すだけ。まあ、穴だらけで頭の悪い作戦だと思うよ」
「思ったより優しいお前の性格を利用した、いい作戦だと思うけどな」
話していて思ったことをそのまま言葉にすると、ケントは忌々しげな顔をした。俺はそこまで優しくない、と苛立った声が飛んできた。怒るとこ、そこなのかよ。内心で肩をすくめつつ、「それで?」と続きをただす。
「……っていうような計画を、沼津たちに話したんだね。でも、この作戦をするのにすごく邪魔な存在がいるの、分かる?」
「邪魔な存在?」
「キミだよ。最初から最後まで裏庭にキミがいると、沼津たちには都合が悪い。でも横下は、わざわざキミが裏庭いるのを確認した上でこの計画を決行した。横下はキミのこと知らないけど、もしキミが人には関わらない冷たい男だったら、落ちた横下を放って場所を移動するだろうから、計画通りに沼津たちが俺を脅す状況になる。その場合、横下の得にはならないけど不利にもならないよね。でももし、キミが怪我をしてる横下を憐れんで頼みを聞いてUSBを届けて、それで俺の話をこうやって聞いて。あの猫を助けたみたいに俺を助けてやろうとするような奴だったらどうだろう。その場合、直接沼津たちに被害を与えられるんじゃないかって思った。横下の当初の目的が叶うってわけだね」
「それじゃ俺は、今のところ後の方の行動を取ってるわけだな」
目の前の空色がコクリと頷く。
知らず知らずのうちに、おかしなことに巻き込まれたものだ。全く冗談じゃないぜ。
「でも、キミが馬鹿正直に横下の計画に乗ることはないんだよ。そうならないために、たぶんそうだろうなって仮説を今説明したんだ。絶対じゃなくても可能性はある。それに、もしこの考えが当たっていたとしたら。沼津もバカじゃないだろうし、前より数を揃えて、万全な状態で待ち伏せてる。だから」
だんだん俯いていくケントがさらに言葉を重ねようとしたのと同時に、予鈴が鳴った。俺は音につられるように立ち上がって、伸びをする。
パイプ椅子っていうのはどうして座ってるだけでこんなに疲れるんだろうか。
ガシャリと畳んだ椅子をベッドの下に直しながら、難しい顔をしたケントに声をかける。
「初回1万だっけ?生憎、今持ち合わせがねえから、トカゲになるわ」
「は?」
「横下と、いや沼津と?お前を切るんだっけ。それで等価交換になるか?」
ハトが豆鉄砲食ったような顔、というのはこういう顔なのかと思う。見開かれた目はラムネの瓶に入っているビー玉に似ている。
「話、聞いてた?」
「聞いてたから、情報料払うんだろ。足らないのか」
「……おつりが、出るぐらいだけど」
両手を揉み合わせていたケントの薄い唇がもごもごと動く。不安げに見上げる目があのネコにちょっと似ていた。ともあれ、おつりが出るなら好都合だ。
「じゃあ、そのおつりで本マグロの飼い主、探してやってくれよ」
「本マグロ?」
「あのチビ猫の名前」
「せ、センスない」
ゆるゆると表れた笑みにつられて、口角を上げた。
本当は、あの猫に名前なんて付けてない。首輪をつけた猫に名前をつけたっていいことなんて何もない。今、咄嗟につけた名前だ。適当すぎるし、センスだってないと思う。
「えっと、勝算はあるんだね?」
「数が増えるだけだろ、問題ない」
「そうかなあ?まあ、キミが言うんならそうなのかなあ。うーん。あ!ちょっと、待ってね」
首を傾げに傾げて不思議な同意をしたと思ったら、ケントは机の引き出しを漁り始めた。それを横目にアキレス腱を伸ばしていると、あったあった、と言いながら青と水色で編まれた歪なミサンガが引き出しから取り出される。
「これ、お守りね。俺の息がかかってますよーって意味」
「俺は、お前の下につく気は更々ねえぞ」
「でもコレ、上客の証だよ?」
「トカゲでいいって言ってんだろ」
まあまあ、とりあえずあげるよ。とニコニコ笑顔で押し付けられて、逆にぐいと押し返した。喧嘩弱いって割には、力が強い。
(そういえば、男の顎殴って廊下に放り出したっつってたな)
なんだよ、とんだバカ力を持ってじゃねーかよ。嘘つきめ。

……んで、結局、受け取っちまった訳だが。
今なら校内お人よし選手権で優勝できる気がする。そんなもの聞いたことはないが。
しかしまあ、この変な形のミサンガ。それなりの威力はあった。数が増えただけの雑魚を勢いよく蹴った時に落っこちたミサンガを見て、周りの何人かが怯んだのだ。アイツの名前を恐ろし気に口にしたのも数人いた。
(アイツって、敵に回すと怖いヤツなのか?)
とりあえず沼津達を片付けて、ついでにまだ転がっていた横下も1発殴って、気付けば5時間目が終わっていた。横下や沼津には、もう情報屋にかかわるなよとよく言い聞かせたから、アイツのところに面倒が行くことはないだろう。
そうして全部片づけ終わった後、6時間目の授業をどうするか考えていると、大黒という教師に声をかけられた。「生徒指導室まで来い」と言われて、心の中で(ああなんだよ、面倒くさいたらたらした説教かよ)と毒づいたのはしょうがないと思う。
ところが、生徒指導室へと入った俺は「とりあえず、お前。目立つ場所で喧嘩するのはやめろ。始末や他への説明が面倒だ」という一言と珈琲飴を1つ投げ渡されただけで解放となった。
疑問符を浮かべていただろう俺に向けて、大黒が自分のものであろうスマホについているストラップを揺らす。青と水色の糸が編み込まれた歪んだそれは、強引に押し付けられたものとよく似ていた。
「まあ、そういうことだな」
ニヤリと笑った教師は、「帰る前に、保健室に寄ってけ」と言って俺を生徒指導室から追い出した。

で、現在。俺は保健室にいる。それで、
「ケントからお客が行くって言われたから、色々準備してたの!」
と嬉しそうに言った養護教諭にお茶とせんべいを出されて、混乱していた。
「あなたが食堂のマサエおばあちゃまの猫ちゃんを見つけてくれたんでしょう?5月連休のすぐ後だったかしら。おばあちゃま、猫がいなくなったって大変落ち込んでらしたのよね。見つかったって聞けばきっと喜ぶわ」
仕方なくせんべいをかじった瞬間から、養護教諭のマシンガントークが始まった。へえ、マサエおばあちゃまの猫だったのか、本マグロ。
「それに、沼津たちもあなたがやっつけたんでしょ?もう、私たちもアイツらにはすごく迷惑してたの。時々ここにも来て、なんだかんだうるさっくてね。ケントにどうにかならない?って相談してたんだけど。報酬に美味しいイタリアンのお店探しといてあげなきゃね」
チラチラと見える髪留めが、やっぱり青と水色なのに呆れてものも言えない。情報は時に力より強いといったアイツの言い分が何となくわかった気がする。こういう繋がりが多いヤツには手が出しにくくなるってわけだな。
「まあ、ケントにはそれとして、あなたにも何かお礼がしたいわね」
「あ、大丈夫ッス。お気遣いなく」
「そうはいかないわよ。ケントの上客は私にも上客だわ。そうね、とりあえずサボりたいときはここに連絡して。保健室で大人しく休んでいましたって書類書いてあげるから。後コレはサービスね」
キャラキャラした声で差し出されたのは、クマのキャラクターが跳ねている名刺とどぎついピンクのハートの中に白抜きの字で特別マッサージ券と書かれた数枚の紙切れだった。丸っこい字で1回10分と書いてある。変な顔をしていただろう俺に怯みもせずにニコニコと素早く制服のポケットにそれらをねじ込まれて、どこかアイツと同じ匂いを感じた。
(帰ってよくよく見てみると、1回10分後に小さい字で5000円也と書いてあった。ぼったくりもぼったくりだ)

次の日、期間限定で俺のルームメイトだった本マグロは、マサエおばあちゃまのもとに帰っていった。本当の名前は黒豆というらしい。俺が言うのもなんだけど、食べ物の名前をつけるってどうなんだろうか。
当のマサエおばあちゃまにはものすごく喜ばれて、食堂の無料クーポンの綴りをプレゼントされた。ぶっちゃけ、ここのところで1番嬉しい贈り物だった。
沼津たちはどうやら休学処分ということになったらしい。まあ、アイツの上客が何やらやったのだろう。俺にはどうでもいいことだけど。
そうして迎えた昼休み、俺は第3棟の階段を上っている。
「コレはもう1人のお友達に差し上げてくださいね」とマサエおばあちゃまに頂いた2冊目の無料クーポンの綴りを握って、のろのろと3階を目指す。
あの養護教諭が言っていた、『学食で山菜そばを頼んだら、きつね、てんぷら、牛肉に卵と具材を山盛りサービスされてその好意を無駄にできずに完食して、もう2度と学食には顔を出さないと誓っていたらしい小食なヤツ』に押し付けてやるのだ。スマホに保存した満面の笑みのマサエおばあちゃまと黒豆の2ショット写真も一緒に突きつけてやれば、きっとアイツは受け取るしかあるまい。
柄にもなく口笛を吹きながら、3階のフロアに足をつける。その足首では、春の空の色が深い海の色と混ざっていた。