回転木馬に揺られてキミの眼差し焦がれる夜の淵

 

小さい頃、メリーゴーラウンドが好きだった。
正確に言えば、メリーゴーラウンドに乗って母親に手を振ることが好きだった。
あの温かな眼差しをずっと浴びることが出来たから。
ぐるぐる回る世界のなか、母親が見えるたびにドキドキしながら手を振って、見えなくなると少し悲しくなった。

剛士と2人きりで過ごす夜は、時々、その時の気分を思い出す。
伏せていた視線を上げると、どんぶりが2つ並んだテーブルの向こう側に彼が座っていた。どんぶりの中には、俺がレンジでチンしただけの冷凍うどんと剛士が小鍋で火にかけただけのめんつゆが入っている。(向こう側のだけ卵も乗っかっている)
冷凍うどんは先週Bプロメンバーで鍋パーティーをしたときにMooNsの誰かが持ち込んだ残り、めんつゆは夏に悠太が麦茶をめんつゆと入れ替えるという悪戯をした残りだ。あの時は引っかかった剛士が鬼のような顔をしていた。
そんな剛士は今、もわもわと頼りないうどんの湯気の向こうでこちらをじっと見ている。
こういう時、仕事中の真剣な目や普段の意志の強い目をしてくれないのがズルい。
その目に灯る、動物や子どもに向けるような慈しみの温度。それは懐かしいあの眼差しの温度に近い温かさで、ただただ困惑してしまう。
「冷める前に、一口でも食べろよ」
口角を上げてそう言った後、剛士はいただきますと手を合わせた。パチンと割り箸が割れる音がその声を追いかけるように鳴る。
いつも思うけど、剛士の気持ちが切り替わるタイミングはさっぱり分からない。
というか、はっきり言って剛士は俺にとって「分からない」のカタマリだ。
未知の生物は言い過ぎかもしれないけど、それぐらい分からないなって思うことが多い。
少なくとも、同じ言語を喋れて本当によかった。じゃないと、きっと一生コミュニケーションなんて取れなかっただろうし、取ろうともしなかっただろう。
「お前、猫舌だっけか?思ったより汁熱いから、もうちょっと待ってもいいかも」
沸騰させすぎたかもしれねえな、という呟きが湯気を揺らした。
猫舌ではないけど、口の中を火傷するのは嫌だなと思う。それにしても、剛士はもっと慎重に食べるべきだ。彼の口は、大切な仕事道具なのだから。
「……ねえ」
「あ?」
「どうしても、食べないとダメなの」
ぼんやりとした情けない声が出た。剛士がうどんを運ぼうとしていた箸を下げて、俺を見る。パチリと重なった視線を逸らせなかったせいで、数秒の間見つめ合うことになった。
「……愛染。これ、ペナルティだから」
「うう」
写真撮影の時だって滅多に見ない、剛士のいい笑顔。
ここで出来るってことは、仕事中ならば毎回出来るはずだ。職務怠慢だ、職務怠慢。
「ごうしのいじわる」
「四の五の言わずに食うことだけ考えろ。おら、とりあえず箸割れ」
ぐんと伸びてきた手がどんぶりの前に伏せていた割り箸を掴んだ。簡単に捕まった可哀想な割り箸は、俺の鼻のすぐ先で視界を遮ってブラブラと揺らされている。
万が一顔に掠ったり当たったりしたらと思うと怖くなって、仕方なく箸を受け取った。
割り箸を割るのは苦手だ。どうして割り箸って自分で割るように作られているんだろう。最初から割れてればいいのに。
「剛士、箸交換して」
「あ?……あー、割ってやるから貸せ」
剛士の言葉に首を振って、さっきの仕返しのように割り箸を鼻先に突きつけてやった。
一瞬不快そうに割り箸を見やった剛士が面倒くさそうに割り箸に手を伸ばすのを、手を上げて遮る。
「俺が1回持った割り箸って絶対太いのと細いのになる呪いがかかるから。今剛士が使ってるの、頂戴」
「どんな呪いだよ」
呆れた顔で「しゃあねえな」と言って、剛士は俺に自分が持っていた箸を突き出した。それを受け取って呪いのかかった割り箸を渡す。
「絶対うまく割れないから、絶対」
「ガキみたいなこと言ってんなよ」
剛士の手によってパキンと音を立てて割られた割り箸は、思った通りに太いのと細いのに別れた。ちょっと得意になって「ほらね」と言うと、剛士は何とも言えない顔をしてどんぶりに不揃いな箸を突っ込んだ。
ちゃぷん、という音がついさっきまでいた浴室を思い出させる。

ザアザアとシャワーの流れる音、急に開いたドアと無表情の剛士。体を温め続けていた水の流れは、ずかずかと入り込んできた彼によっていとも簡単に止められた。止まりきれなかったお湯が集まって、シャワーヘッドから白い床にぽたりぽたりと滴る。最後にちゃぷんと落ちた水滴の音は、頭へ被せられたバスタオルの中で聞いた。

「何となくわかる」と剛士は言う。
「お前がバスルームで泣いてる時は、何となくわかる」
その曖昧すぎる何となくが、今のところ外れたことがないのが恐ろしいと思った。
別段大きな泣き声を上げている訳でもないし、自分でも気づかないうちに泣いている時もある。でも剛士には、俺が泣いているのが何となくわかるらしい。そしてわかるとすぐに浴室へと突入してきて、自分の服や脱衣所がびちゃびちゃになることもお構いなしに俺をそこから引っぱり出すのだ。
おかしな奴だと思う。そっとしておいてくれればいいのに。
コッソリ泣きたい気分も分からないなんて、女の子にモテないぞ。
1人になりたいときに1人にしてもらえないのは却ってツラいんだからな。
「それがどうした」
「いきなり浴室に入ってくるのは無神経すぎるだろって言ってるんだけど」
「俺だって無視できるもんならそうしてるし、バスルームに押し入るなんてしたくねえと思ってる」
脱衣所で睨み合いになると、どちらも後には引けなくなってしまった。
「訳が分からない。じゃあ、放っておいてくれよ」
「だから、できるもんならそうしてるっつーの」
「剛士には関係のないことだろ!」
「俺が嫌なんだよ! お前が、さびしがり野郎のくせに1人でシクシク泣いてるところなんて見たくもねえ。いいか、この先も同じように1人で泣こうとしてみろ、いくらでも邪魔してやるからな!」
「っ、……なんだよ、それ」
勢いがそがれて、かすれて出た声が落っこちた。
なんだよ、それ。
酷い奴だ。剛士は酷い奴だ。
「ひどい」
そんな理由、そんな言葉。俺のことをさびしがりだと嘲るのなら、分かっているくせに。
分かっていないなら、なお酷い。それはそれは、残酷だ。
「おれに、かまわないでくれよ」
ジワリと熱く目の奥から湧いて出た涙は、バスタオルで乱暴に擦り拭われた。
「嫌だ」

のそのそとうどんを口へ運ぶ。
あれから何がどうなってこうなったのか。剛士と俺はグループメンバー、ルームメイトと言う関係にさらに恋人なんてカテゴリーを上乗せしてしまった。
本当に何が起こったというのか。世の中は分からないことだらけだ。
ただ剛士の行動は、あれからずっと変わっていない。
何となく浴室へ入ってきては、ずぶ濡れの俺にバスタオルを被せて引っ張り出す。
今日のように悠太がいない日も、悠太がリビングでプリンを頬張っている日も剛士の行動は変わらない。そして、悠太はそんなことがあっても何も言わない。(一番年下のはずなのに、空気を読み取って整える力は悠太が一番優れている)
変わったと言えば、そう。恋人を上乗せした日に変わったことが2つある。
ひとつは、こんな時間にうどんを食べる羽目になったペナルティの正体だ。
「つらいことを隠さないこと。特に1人で隠れて泣くのはダメ」
それを破ったら、何故かペナルティを受ける。そういう約束をさせられた。
もうひとつは、剛士がやさしい記憶の中のあの人みたいな温かい温度を孕ませて俺を見るようになったことだ。それはとても悲しくて懐かしくて、今でもメリーゴーラウンドに乗っているみたいにドキドキする。だけどみっともなくドキドキしているのを知られたくなくて、平気な振りばかり上手くなっていく。だけどそうすると、心と体がこんがらがって困惑する。
(ああ、そうか。剛士はいつも、そのタイミングで目を逸らしてくれているのか)
分かったような、分からないような。いや、やっぱり分からない。
タイミングが分かったところで、その意図が分からない。でももし弱っている俺を内心笑っているとかだったら、1発ぐらい殴ってもいいかもしれない。
いつの間にかうどんを食べ終えていた剛士は、空のどんぶりの上に箸を渡していた。高級な店での食事会じゃないから、作法がうんぬん言うのは止めた。
「そうやって前髪下ろしてもそもそうどん食ってるとさ、すげー幼く見えるな。なんか、かわいい」
「え、ショタコン」
「馬鹿言うな。違えよ、お前がかわいいって褒めてやってんだろうが。おいコラ、本気で引いた顔すんじゃねえ」
そういうとこは、かわいくねえな。と剛士がむくれる。
大の男に向かって、かわいいってなんだよ。そういうところ、俺には分かんない。
「俺はそうやってむくれた剛士の方が、こんな格好もつかない俺なんかよりかわいいと思うけど」
「嬉しくねえ。あと、なんかって言うな」
「いちいち細かすぎ」
「アレコレ細かく言いたがるのは愛染だろ」
もっと野菜を食べろとか、唇が荒れてるとか、今日は空気が乾燥してるとか。
ウンザリみたいな顔をしてるけど、剛士だっていつまでも若くいられるわけじゃないんだから今できることをやっておくべきだと思う。音楽には貪欲でそういう姿勢を崩さないどころか率先して突き進んでいくのに、こと生活については大雑把すぎる。食べ物や環境は健康な身体を作る要素だから気をつけるに越したことはないし、身だしなみや美容を気にかけて損はない。誰だって綺麗なものが好きだろ?
「お前がいつまでも綺麗なのはいいんじゃねーの?だけど、俺はいい。面倒くさい」
「筋トレは面倒くさいとか言わないくせに」
「それはそれ、これはこれだろ」
それに、筋トレだって身だしなみっていえば身だしなみだろ。と剛士は言う。
歌のために筋肉つけてるんだって言ってたじゃん、お前。まあ確かに、お腹がお肉でぷくぷくのアイドルなんて目も当てられないけどさ。(それはそれで需要があるところにはあるんだろう)
ぷくぷく、か。そう思うと、やっぱり目の前のうどんは糖質のカタマリで、ヘンゼルとグレーテルよろしく俺をぷくぷくにする為に魔女が用意した食べ物のように見えてきた。
「ああ、もう無理。あと食べて」
「半分しか減ってねえぞ」
「半分も食べたよ」
チッと舌打ちをしながらも、剛士は俺がテーブルの上を滑らせて押し付けたどんぶりを掴んだ。

本当は、知っている。
剛士の何となくが、何となくじゃないこと。
悠太にも言われたことがあるからだ。
「ごうちんは、ケンケンのことよく見てるよ」って。
きっと剛士は無意識に俺を見ていて、だから俺の様子が普段と違うことに気が付くのだろう。
そして俺はそれに気づいていて、毎回毎回同じように剛士に見つけてほしいと思っている。
なんて卑怯なんだろう。そこまでして、俺は見つけてほしいんだろうか。
……うん、そうだよ。俺は、ほしい。
邪魔をしてほしい。1人にしないでほしい。あの眼差しで俺をずっと見ていてほしい。
卑怯だろうが我儘だろうが、こんな俺を剛士が可哀想だと、放っておけないと思ってくれるのなら。俺は、ずっとずっと同じことを繰り返してしまう。
こんなこと、剛士が知ったらどう思うだろう。

「で、なんでまた泣いてんだよ、お前は」
「え」
「やっとマシな顔になってきたと思ったのに。涙腺壊れてんじゃねえの」
ズルズルと汁まで飲み干した剛士が、眉間にしわを寄せて近づいてきた。
……泣いてる? 頬に手をやると、確かに濡れていて驚いた。
「お前の目って、あんまり泣くと溶けそうで怖いよな」
グレーのスウェットの袖口でグイグイ擦られて、目の縁や頬がヒリヒリする。思わず閉じてしまった目を開けると、濡れた部分が濃く変色していた。さっきシャワーで濡れた部分もまだ完全には乾いていなくて、風邪をひいたらどうするんだろうと思う。
「ごうし」
「んー?」
「なんで、そんなに優しくするんだ」
「はあ?」
口を突いて出てきた純粋な疑問に、思いのほか怒気を含んだ大きな声が返ってきて体が震えた。
「だって、」
「だってじゃねえよ。何なんだ。あああ! ほんとお前。何なんだよ、お前は!」
「は、何って」
「優しくしたらダメなのかよ! じゃあ俺が優しくしたら、嬉しそうにしてるのは何なんだよ」
伸びてきた剛士の両手が俯こうとする俺の頬を拘束する。熱い手だ。
その手に、容赦なく上を向かされる。
剛士しか目に映らないほど近くにその顔があった。
「うれしそう?」
「してるだろ、毎回。バスルームから連れ出して構ってやると、ホッとしたような顔して唇ふにゃっと緩ませて!」
「え、うそ」
「してる、ぜってえしてる。それが見たいから、毎回俺は!」
そこまで言って、あ、と剛士は口をつぐんだ。
俺も二の句が継げないまま、至近距離で数十秒、無言で向き合うことになった。とはいっても、剛士が目を泳がせているせいで目が合うことはない。
「ごうし」
「っ」
「ごうし」
「な、んだよ」
「おれは、うれしいよ。……優しい剛士も、毎回来てくれる剛士も、好き」
「……おう」
「だけど、剛士は。剛士は嫌じゃない? 俺、面倒だし。それに、っ」
言い募ろうとしたのと同時に、唇を塞がれた。すぐに離れたとはいえ、それは俺の言葉を正確に止める。
「嫌じゃねえし、面倒だなんて思ってねえ。愛染が弱って、俺に頼ってくるんだって思うとたまらない気持ちになる。ホッとした顔を向けられるたびに、好きだって思う」
そこまで言って、剛士はチュッと目の端に口づけた。くすぐったさに目を瞑ると、軽く笑ったのかフッと剛士の息が顔にかかった。
「でも、まあ。出来ればああやって泣く前にでも俺に、最悪阿修にでもいいけど、ツラいって一言言ってくれりゃあなと思うけどな。自分の中でどんどん悪い方向に考えるからああなるんだよ、お前。意外と頑固だよな、そういうとこ」
ペナルティでもつけりゃマシになるかと思ったけど、全然効果ないし。
呆れたように言われて、あれはそういうことだったのかと今更ながら納得する。
「それは、剛士が」
「俺が何だよ」
「……愚痴や不安しか吐けないダメな俺なんかには構ってくれないんじゃないかって、思って。剛士はさ、俺がああやって泣いてるから、同情とか憐れみとかそういうので優しくしてくれるだろ」
「へえ」
喉の底から出てきたようなドロリとした相槌とともに、剛士から表情が消えた。
消えた表情とは裏腹に、目だけがギラリと獲物を狙うように輝いている。
「ご、うし?」
「そうかそうか。うんうん。すげえ反省した。これは俺の努力不足だ。悪かったな、愛染」
「うん?」
「そういえばお前、さっきうどん半分残したから、その分のペナルティまだ残ってるよな」
「え」
「残ってるよな」
地を這うような声に頷いた。有無を言わせない何かが剛士の後ろから漏れ出ている気がして、すごく怖い。嫌な予感がひしひしと身に迫る。
そんな俺を嘲笑うかのように頬から手を放した剛士が、逃げ腰になった俺の腕をとり反対側の手を腰に回した。
「よし。じゃあ、いくぞ」
「どこに」
「俺の部屋」
「どんぶりは」
「んなの、明日の朝でいいだろ」
力任せに立たされて、操られるように出口である扉へと足を運ぶ。合間に挟んだ疑問も全て手折るように返されて、いつもならもっと上手く言いくるめられるのにと思った。
……ねえ、ダメだよ、剛士。怒ってるならもっとそれなりの表情してくれないと。
そんな目で見るから、俺は反論さえできないじゃないか。
「何するの」
「お前は何もしなくていい」
「剛士は」
「お前を甘やかす。とことん優しくして、嫌っつっても褒めて、宥めて、撫でて。言葉でも、行動でも。俺の気持ちがお前に伝わるまで、甘やかす」
何を言われたか分からずにもう一度心の中で復唱して、身がすくんだ。足を止めたくても腰に回された腕に促されて、勝手に動いていく。
「むり」
「無理じゃねえよ」
「ごうし」
「そんなかわいい声出してもダメだっつの」
やばい。もうなんかのスイッチ入ってる。
恐怖なのか、期待なのか。どっちつかずに胸の鼓動が高まって、ふと思う。
やっぱり、この感覚はメリーゴーラウンドだ。ぐるぐる回る世界と、ドキドキする心がよみがえる。
(少し顔が見えなくなると、悲しくなるのも一緒だなんて。……笑えないな)

連行された先、彼の部屋の扉の前で歩みが止まった。剛士がこちらを確認するように見上げる。
「~っ、……お前さあ!」
「何」
「本当に自覚ないのか? 嬉しそうな顔しやがって」
困ったような、怒ったような、どちらにも見える複雑な顔で剛士が言う。
そんなに、嬉しそうな顔してるだろうか。
確認しようとする間もなく部屋の中に押し込まれたから、その時自分がどんな顔をしていたのかなんて、俺にはさっぱり分からなかった。