「おーい、つばさちゃーん」
お世話になっているCDショップへの挨拶を終えて、明日の予定を頭の中で確認しながらホテルに向かっていると、突然どこからか名前を呼ぶ声が聞こえた。土地勘のない場所で、しかも夜道で話しかけられたというのもあって、心臓がヒヤリと凍りつく。
「つばさちゃーん、まってよ~」
けれど、その明るくよく通る声には聞きおぼえがある。……いやいや、そんなはずはない。でも、こんなに特徴のある声を聞き間違えるということはないはず。
ええい、女は度胸だ!と意気込んで、でも怖い気持ちは抑えきれずにおそるおそる声が聞こえた方向に視線を動かしてみると、その先には、こちらに向かってブンブンと大きく手を振っている人影があった。
「ええっ」
驚きで声をあげる私へニコニコと駆け寄ってきたのは、頭の中でぼんやり思い浮かべていた人物。私がA&Rとして担当をしているBプロのメンバーの一人、『阿修悠太』その人だった。
「やっぱり、つばさちゃんだった!人違いだったらどうしようかと思ったよ~。もうご挨拶は終わったの?」
「あ、え、はい。今帰りで……。そ、それよりどうしたんですか?こんな場所で」
先ほどホテルで別れた時には、めでたく決まったフェス出演のお祝いをしようと話していたと思うのだけれど。奮発して外へご飯に、ということなら尚更こんな場所では会わないだろうし。それに、何人かは疲れた顔を隠せていなかったから、てっきりホテルでゆっくりしていると思っていた。
私が戸惑っていると、彼はえへへと恥ずかしそうに頬をかいた。
「ついさっきまで、みんなと一緒にいたんだけど……。はぐれちゃって」
「皆さんでホテルから出て来られたんですか?」
「そうそう。つばちゃんと別れた後、神社に願いを叶えてくれたお礼をしに行こうって話になってねー」
悠太くんの話では、石を返すために全員で神社の本殿へ向かっている途中で、何故か一人はぐれてしまったらしい。うーん。なんといっていいのやら、返答に窮する。
(だって。私の思い違いでなければ、鳥居をくぐってから本殿までは一本道だったはず)
僕、すっごい方向音痴だから。とあっけらかんとしているところを見ると、こういう事態が初めてというわけでもなさそうだ。
「きっと皆さん心配されていますよ」
「う~ん、それなんだけど。実は僕のスマホ、充電切れちゃってて……」
ほら、と見せられたスマートフォンの画面は真っ黒だった。
またケンケンに怒られちゃうなー、としょんぼりしている様子が年相応で可愛らしいなと思う。
くすりと笑いが出てしまい、それに気づいた彼が頬を膨らませたのが見えた。ああ、いけないと緩んだ口元を引き締める。
「とりあえず、私が連絡を取ってみますね」
私はそう言いながら、スマホを取り出して指を滑らせた。
◆
北門さんに連絡を取ると、まず私たちの現在位置を尋ねられた。周囲の特徴をある程度伝えると、竜持?と不思議そうな優しい声が、不機嫌そうな甘く高い声へと変わる。
『絶対、悠太とそこを一歩も動かないこと。いい?』
どうやら北門さんは是国くんと一緒に悠太くんの捜索をしていたようだ。
途中で別れた暉くん、野目さんと合流してからそちらへ向かうという意見に同意をする。最後に『その場所から動かないでね、特に悠太。ちゃんと見張っててよ』と念を押され、あまりの気迫に「はい」と相手には見えてはいないのに首を縦に振ってしまった。
「北門さん達がこちらに向かっているそうなので、ここで待ってましょうか」
「うん。そうだ!りゅうちゃん達が来たらさ、つばさちゃんも神社に行こうよ」
ガードレールに寄りかかって空を眺めていた彼がそう言った。見上げる先で、ピンク色の髪の毛がふわりと揺れる。私は「そうですね」と答えた。咄嗟に口から出たそれは、肯定なのか思案なのか自分でもわからない調子だった。
そういえば、彼は一体何を見ていたのだろう。真似るように空を見上げてみる。
名前も分からない星たちと、弓のように細い月しか見えない。場所や時間によって、夜空も少し違って見えるものだと聞いたことがあるけれど、あいにく最近は新しい仕事を覚えることに必死で、こんな風に空を見上げたりなどしていなかったように思う。まだまだ出来ないことや失敗が多い私には、他のことに目を向ける余裕がない。あれもしなければ、これもしなければと、気持ちだけがはやってしまう。もっともっと、と理想の姿に手を伸ばすたびに、視界がどんどん狭くなっていくのはなぜなのだろう。
例えば、そう例えば。彼の生き生きした瞳には、私にはまだ見えないような景色が見えているのだろうか。
「ねえ、つばさちゃん。手、かして」
「え?手、ですか」
「そう!はやくはやく」
いつもとは違う落ち着いた彼の声が、ぼんやりとした思考を遮った。突然のことに戸惑いつつも、右手をふりながら楽しそうにせかされて、自分の左手を差し出す。と同時に、思っていたよりも大きな手にぎゅっと握られた。
「ゆ、悠太くん」
「これでよーし!これなら、つばさちゃんとは絶対はぐれない!」
満足げに彼が笑う。口角をキュッとあげて笑うその笑顔はいつ見ても、そう、こんな街灯の明かりしかない夜道でもとても目映い。
(……眩しいなあ、)
私がまだ、今日の夜空に見つけられていない星は、きっとこんな色と光を持っているはずだ。優しくて、あたたかくて、心の端っこの小さな引っ掻き傷をそうっと撫でてくれるような。
「つばさちゃんの手はちいさいね」
「悠太くんの手が大きいんですよ」
「そっかな。でも僕は、ちいさくてやわらかくって頑張り屋さんなこの手、スキだよ」
「……そういうこと言われ慣れてないので、ドキドキしちゃいますね」
「僕もこういうこと言い慣れてないから、ドキドキしてる」
お揃いだね、と少し屈んで目線を合わせてくれた悠太くんと、二人で笑いあう。どちらともなく繋いだ手に力を入れて、その温度を確かめた。
光を放つ彼らに置いて行かれないように、明日からも頑張ろう。彼らの光を、もっとたくさんの人に届かせよう。
胸の奥で改めてそう決意をして、夜空を見上げる。
星たちのきらめく空の下、遠くから、私たちを呼ぶ声がした。
