トクトクトク
意識して言ったわけではないので覚えていないことなのだけど、「フロイドの心音は、聞いていると落ち着くので好きです」と言ったことがあるらしい。
あれでいて覚えの良い男は、そんな僕の戯言を大切にしているようだ。
「疲れた」だとか「イライラする」だとか口に出そうものなら、長い腕を伸ばして心音が聞こえるように抱き込んでくる。
疲れや苛立ちに侵された頭は巻きつく腕の檻を脱出することを簡単に放棄するので、その時の僕はほとんどされるがままである。
胸のあたりに押しつけられた耳に届くのは、ソイツの生きている音色だ。
外殻は騒がしさを纏っているくせに、トクントクンとなる心臓の動く音は穏やかで優しい。
それはどんな言葉より雄弁で、のびやかだった。
「どぉ? 落ち着いた」
フロイドがそう言って、身体を揺らす。引っ張られるように揺れながら頷くと、つむじに口づけが落ちてきた。背中に回っている手のひらが背骨の上をスルリと滑る。
今日の様に機嫌のいいときはともかく、この男は機嫌の悪いときでも心音だけは聞かせてくるのだ。
10秒程締めるように抱きしめて、ポイッとつっかえすように放されるという雑さではあるが、その律義さには驚かざるを得ない。
「お前って、割と僕のこと好きですよね」
不意に口から出た言葉に、後悔する。
口が滑った。何を言っているんだ。
「いえ、すみません。今のは」
「アズールの好きって、こうやって抱きしめることなの?」
そう言い終わるのと同時に腕に力がこもったので、顔の半分がべたりとつぶれる。さらに頭頂に顎を乗せられて、顔を上げることが出来ない。
機嫌を損ねたのだろうか? グリグリと押し付けられる顎が地味に痛い。
はて、何を聞かれたのだったか。好きの定義が、抱きしめるであるかどうか?
「抱きしめることというか、お前が自分の時間を割いて他人のための時間に当てているということに対してですかね」
「ふうん」
「……なんで、って聞いてもいいですか」
目の前の二の腕に、そっと指で触れる。拘束が少しだけ弛んだ。
「いーよ」
「なんで、こんなに落ち着くんですかね」
「あはは」
そっちなの? とフロイドが笑う。
そっち、とは?
「自分のことも分かんないんじゃ、オレのことも分かんないじゃん」
「そんなことないです」
「そうかなぁ?」
「だって、同じ気持ちなんでしょう?」
いつもよりも早くなった心音に目を閉じる。
フロイドは心得ているとでもいうかのように、外側の耳をそっと塞いだ。
