その日、剛士が珍しく上機嫌で帰ってきた。それはそれはとんでもなく上機嫌だった。
これは前提として言っておくが、俺から見た金城剛士は〈いつも何かと怒っている男〉だ。
別にその他の感情が少ないとかいうわけじゃない。むしろ人間味があって、感情が顔に出やすいタイプだと思う。その中でもとりわけ怒りの感情が目立つのは、それをぶつけられている立場だからだろうか。俺と剛士は互いにコイツとはそりが合わないなと思っているし、実際その通りなのでよく意見も衝突する。〈自分と違う考え〉というのは、憧れも嫌悪も生むんだと剛士と出会ってからよくよく思い知った。
いずれにせよ、俺の中での剛士はイコールで何かと怒っている奴なのだ。
だから、勢いよくリビングの扉を開けるなり「愛染、コレ! コレ見ろよ!」と唾を飛ばして何処かのショップの紙袋を喜々として掲げる男に、俺は困惑するしかなかった。
見ろよって言われても、何をだよ。紙袋か。その何の変哲もない紙袋をか。
と、突っ込みを入れられる余裕もなく、「その袋、何? 何が入ってるんだ?」などと無難な返事を返した俺の目の前で、剛士は紙袋を破り出した。
ビリビリ、ビリリ。袋の残骸が次々とリビングの床に散らばっていく。実に大胆で、見ていて気持ちがいい。
そうして袋としての機能を失った紙袋から出てきたのは、1枚のCDだった。
剛士曰く、前から探しに探していたアーティストのCDが手に入ったとかなんとか。
そう言えば、前にそんな話をしていたなあ、たしか。そっと頭の隅っこの記憶を掘り起こす。「初期のギターがcoolで好きだ。聴かないと勿体ない」云々と力説するものだから、剛士が手放しで褒めるってどんなものだろうと興味を持った。1stアルバムの初回限定版だけに入ってる曲が聴きたいけど中々手に入らねえ、とため息をついていたのも覚えている。
話を聞いた日の夜にこっそりネットで調べてみたら、けっこう有名なアーティストらしく何枚かのCDや動画がヒットした。だけど、剛士が欲しいと言っていたCDの隣には、目を疑うような値段とsold outの文字。いくつかページを開いて、どのページも同じような表記であるのを確かめると、自分が欲しいものでもないのに簡単には手に入らないことを知って少しだけ気落ちした。
そんなことを思い返しながら、CDを眺めてニコニコ(当社比)している剛士に「よかったな」とだけ言っておく。衝動買いなんてしないタイプの男だけど、きっと見つけるなりすぐに購入したのだろう。音楽への熱意は人一倍あるヤツだから。
「おう!」と元気よく返ってきた声に、思わず頬が緩んだ。嬉しいとか楽しいとかいう感情は、伝染するものなんだなあ。不思議だ。
随分とご機嫌さんな剛士は、興奮冷めやらぬ様子でそのアーティストの〈ココがすごい!〉を俺に聞かせた。2番目の曲のイントロのギターがどうとか、5番目の曲のギターソロがどうとか、見事にギターの話ばっかりだったけど。そして技術的なことはサッパリな俺は、その話の半分も理解できなかった。
まあ、でも、ギターの話をする剛士は本当に生き生きとしているので、俺はうんうんと相槌を打ちながらちゃんと聞いてあげた。さっきも言ったが半分は理解できなかったので半分は聞き流していたが、我ながら相槌だけは完璧だった。
そんなものだから、さっきまでおざなりに読んでいた雑誌は膝の上できまり悪そうにしているし、手に持っていたはずスマホもソファーの上に抛り出されて俺の頭の中から締め出されてしまっていた。グラスの中の氷なんかすっかり解けてしまって、テーブルには水が溜まっている。可哀想に。
でも、許してね。しょうがないんだ、しょうがない。喧嘩腰じゃない剛士なんてレアだし。本当に、いつもこんな感じなら可愛いのにね。
一頻り喋りに喋って満足したのか、剛士は今から曲を聴きに部屋に行くと言って話を終えた。話しているうちに曲を、ギターの音を確かめたくなったのかもしれない。俺は「それがいいよ」とだけ言った。正直レアな剛士を見れて、もうなんだかお腹いっぱいですという心持ちだ。
俺の言葉に頷いた剛士は、CDを大事に持ってリビングを出ていこうと扉に向かって行った。
俺はそれを見送りながら、視界の端にチラつく紙の散らばっている床に笑った。それどころじゃないのは分かるけど、掃除ぐらいしていけよな。と思ったけれども、まあ珍しいものも見れたし、此処は俺が片づけておくことにしよう。
雑誌を閉じて、伸びをしながら立ち上がる。ごみ箱を探していると、とっくに出て行ったかと思った剛士が俺の名前を呼んだ。
「愛染」
その声をなんと形容したらいいものか。不貞腐れるというか、拗ねている?そんな調子の声だった。よく、悠太が話を聞いていない俺を咎める声に似ていた。
だからか「なあに?」と返した俺の声にも甘さが滲んだ。たまには、そんなこともある。
甘やかすわけじゃないけど、弾んだ気分を壊してやりたい気分でもなかった。
ごみ箱は意外と近くにあったので、それに手を伸ばす。そこにある紙くずは俺が片づけておいてやるから、早くそのCD聞いて来いよ。続いて、そう言おうとした。
「早くしろよ。行くぞ」
「は?」
「お前も一緒に聴けばいいだろ」
ぽかん。その時、俺はとても間抜けな顔をしていたと思う。ついでに、こみ箱を取ろうと屈んでいたから、格好も間抜けだったはずだ。
剛士はドアノブを握った格好で、振り返るようにコチラを見ていた。
一緒に、って何だ? そんな当然だろ、みたいな顔されても。アレ、そんなこと言ってたっけ?
……いや、言ってなかった。さっきの会話を思い出しても、そんな話はしてなかったはず。
「え、えっと」
「ん?」
怪訝な顔をしている剛士に「俺も?」と尋ねた。それからすぐに、「一緒に聴くの?」と付け加える。まだリビングを出て行く素振りを見せない男は、首を傾げて「聴くだろ?」と言った。
聴くだろ? 聴くよな? 聴かねえの? そんな三段活用が顔に書いてある。
「う、うーん」
「何。忙しいのかよ」
暇そうに見えるけど。剛士は、今度ははっきりと拗ねた声でそう言った。唇がとんがっている。あ、不機嫌になる。俺は、咄嗟に口を開いた。
「忙しくはない」
「だよな」
剛士はそこでようやく紙袋の残骸に気付いたようだ。ドアノブから手を離して足早にコチラに来たと思ったら、しゃがみこんで紙くずを片手でぐしゃりと握った。それをごみ箱へ叩き込むと、今度は俺が伸ばしていた手を捕まえて「ほら、来いよ」と引っ張る。
夢でも見ているのだろうか。それにしてはリアリティがあるな。
〈いつも何かに怒っている男〉に手を引かれつつ、俺は知らないうちに飲み込んでいた息を吐き出す。熱い、音もない吐息。しかし、それは胸の辺りでぐるぐると渦巻いている何かを外へ出してはくれなくて困った。もどかしい気持ちのまま、剛士の部屋の前まで来る。中に入る前に、聞きたいことだけは聞いておこう。
「俺、邪魔にならない?」
「邪魔なら連れてこねえだろ。6番目の曲、アレ、愛染のイメージ。お前の声で歌うと映えると思う。絶対。いい曲だから、お前にも聴いてほしいんだよ。それに、お前がこのアーティストを好きになったらもっと色んな話できる、だろ」
ちょっと恥ずかしいことを言っていると気付いたのか、剛士の耳が赤くなる。そして、誤魔化そうかどうするかという風に口をもごもごと動かし出した。
……なにそれ。
なにそれ、なにそれ。
うわあ。
「剛士、お前。……かわいいな」
ポロリと声に出てしまったその言葉を聞いて、剛士の表情が一瞬固まる。しまったと口を押えるも、少し遅かった。
次の瞬間、カッと顔を真っ赤にした剛士は、俺のふくらはぎを思い切り蹴る。
「今のは無しだ! 忘れろ、今すぐ忘れろ」
「それは無理だろ」
足の痛みに耐えながらそう言うと、チッ、という大きな舌打ちと英語の罵りらしき言葉が返ってきた。意味は分からないが、苦いものを口に含んだみたいな顔をしている。はは、可笑しいの。
見慣れたしかめっ面に戻った剛士は、それでもいつものように怒りをぶつけてくることはない。それどころか、招き入れるように自室の扉を開ける。
なのに、ここまで来ても俺はその中に入るのをちょっと迷っていて、我ながら呆れた。悪いことなんて何もしてないのに、悪いことをしているような気がするのだ。往生際が悪く面倒な俺は、再度口を開く。
「剛士は、俺のこと好きじゃないだろ。だから、もっと話したいなんて言ってもらえるとは思ってなかったな」
「お前とはそりは合わねえけど、嫌いではない」
真っ直ぐな剛士の口調は、ちっとも迷ってなかった。
「そう。……うん。俺も」
もどかしさは増したけど、迷いは晴れた。こういうことは、深く考えないのがいいってことも分かった。いくら考えたって、剛士と俺は〈そりが合わない〉のだ。
「さっき言ってた曲、聴きたい。どんな曲か、楽しみ」
俺は何事もなかったかのように、扉の中へと歩を進めた。その目に俺の姿が無防備に映っていたらいい。
それがきっと、今、正解だ。
