物心ついたときから、コンプレックスだらけだ。キレイな歌声も、早く泳げる鰭も、輝く鱗も持ってない。唯一数多く自由に動く足が自慢だったものの、「うわ、気持ち悪い」というもう顔も覚えていない誰かの言葉で、ソレも劣等感を助長する重しに変わった。
ただただ、他の人魚がうらやましい。涼しい顔して歌を歌うアイツは、岩場の隅で毎日発声練習をしなくてもいい。ぐんぐん泳ぐアイツは、足が絡んでひっくり返ることなんてない。艶やかな銀の鱗を自慢するアイツは、吸盤のついたこの足をきっと醜いって思ってるんだ。
誰もかれもが、僕よりいいものを持っている。なのに、「今日は喉の調子が良くなくて、上手く歌えなかった」とか「さっき早く泳ぎすぎて髪の毛が乱れたちゃったよ」とか「南で獲れた海藻を食べると鱗の艶が増すらしい。南で生まれりゃよかったな」とか。
そういうことを平気で言う。
ダメだったとか、悪いところもあるとか、他に羨ましい奴がいるとか。
じゃあ、もっと劣っている僕は、どうなる?
文句があるなら、僕にくれればいいのに。
4分の1でいい。半分でいい。
……本当は全部がいいけど。
どんなにイヤな奴でも優秀なところが1つはある。その中には、優秀をたくさん持って生きている奴がいる。
そう例えば、僕の前でヘラヘラしているコイツとか。
「なぁに、アズール。ボーっとして。眠いの?」
折角のデートなのにー、とフロイドはテーブルに肘をついた。行儀が悪い。
偵察にと最近人気の出てきたカフェでランチ。という名のデートだ。フロイド曰く。
「人間は番になる前に一旦恋人になるんだって。そんで、デートしてチューして、仲良しだねって確認すんだって」
と昨日の夜、フロイドは寝る前の僕に向かってどこで仕入れたのか分からない話をした。正直、僕はもう寝る寸前で、目がしょぼしょぼしていた。
「恋人っていうのは、お互いに思い合ったヤツらが「好きだよ」って言ったらなれるカンケーらしいから、オレらって恋人だったんだって、さっき気付いたわけ。だから、明日は偵察じゃなくて、デートしようよ。ねえ、アズール、いいでしょ」
僕はとても眠くてとりあえず「はい」と言った。とんでも理論が過ぎて前半は脳が受け付けず、「明日」と「偵察」と「いいでしょ」しか頭に入ってこなかった。どうせそのうち厭きるので、ほっておいても問題ないだろうと思って、頷いた後はそのまま「好きになさい。寝ます。おやすみ」と言って寝た。
偵察だろうが、デートだろうが、やることはそう変わらないと思う。出かけることへの呼び名が違うだけだ。
運ばれてきたまま、今まで手を付けていなかったエビとアボカドのライスバーガーを口に入れる。おいしい。
「フロイド、」
「んー?あー……、むぐ。んん。おいしーね」
エビがプリプリだし、このソース、アズールの好きな味だもんね。気に入ったの?
差し出したバーガーを齧って、フロイドは僕の言わんとすることを8割ぐらい当てた。
こういうところも、彼が優秀であるピースの1つだと思う。口にはしないけど。
だけど何故だか、僕はフロイドの優秀さを欲しいと思ったことがない。スマートな体躯とか、説明もろくに聞かないくせに失敗をしない(気分が乗っている時の)料理センスだとか、陸でも思い通りに体を動かせる運動能力だとか。まだまだ羨ましいと思えるところは、たくさんあるのに。
「アハ、ほっぺにご飯粒ついてんじゃん。取ったげるね」
そう言ってこちらに伸ばされる腕だって筋肉がついてしなやかだし、米粒を取るついでに頬を抓る指も長くて雄らしい。
だけど、自分もそうなりたいか、自分が持っていたいものかというと、違うような気がする。何故だろう。
カフェを出ると、「帰る前に、靴屋に寄りたい」とフロイドが言った。
特に用もなかったので、フロイドが気になっていたという店まで向かうことにする。
携帯端末をいじりながら、「そんな遠くないと思うんだけど」と口にするフロイドの右手が、僕の左手を握った。バスケットのボールを難なく掴むことが出来る、大きな手。
「この手は何ですか」
「迷子防止ぃ」
「は? 喧嘩売ってんですか」
「オレが、フラフラ迷子になんないように握ってて」
なんだそれは。店を知っているのはお前なんだから、お前が迷子になるわけないだろう。そう思ってるうちに、「こっちだって~」と手を引っ張られた。
そういえば海の中でも、フロイドはよくこうやって僕の手を引っ張って、いろんなところを周った。「お前の手は爪が鋭くて怖いから、手を繋ぐのはもうやめてくれ」と言った僕に、「じゃあ、オレはギュッて握んないから、アズールがちゃんとつないでてよ」と彼は、今より少し小さな、水かきのついた手をこちらに向けた。
あの時、フロイドは僕が言った言葉をどう感じていたんだろう。ちょっときつく当たった本当の理由が、傷つきたくなかったからなんだと言ったら、どんな顔を見せるんだろうか。
あの時、フロイドの口から「気持ち悪い」の言葉が出る前に、何か先にイヤなところを言ってしまえばいいと思っていた。そうすれば、その言葉だけは聞かずにすむんじゃないかと思った。尖った爪よりも、そっちの方が怖かった。だけど、それは劣等感を増やされるのが怖いんじゃなくて。もっと単純な……。
「アズール? ついたよ?」
いつの間にか、目的地についていたらしい。目の前でパチンと手を鳴らされて、ハッとフロイドの顔を見る。「疲れた?」と聞かれて、首を横に振った。一瞬目を細めたフロイドは、左手で僕の頭をグイグイ撫ぜた。
「ならいいけど。じゃあ、行こ」
靴屋では、基本的にバラバラになるのが僕たちの過ごし方である。フロイドとジェイドはこだわりのポイントが合うこともあるようだけど、僕は彼らほど靴自体に興味を持っていない。いちいち説明させるのも気が引ける。各自で楽しめるのなら、その方が身軽でいい。
だから繋いでいた手は、店に入ったと同時に僕から離した。
フロイドが目をキョトンとさせて、僕を見る。
「何ビックリしてるんですか、さっさと見てきなさい」
「え、なんで? なんで、手ぇ離すわけ」
「は? 靴が見たいんでしょう?」
「うん、そー。でも今日はデートだから、一緒に見なきゃ意味なくね?」
違ぇーの? と小首を傾げるフロイドと同じ方向に、首を傾ける。
「まあ、デート云々は措いておいても、僕がいると邪魔でしょう」
「別に。邪魔じゃねーけど。じゃあ、手つながなくてもいいから、一緒にいてよ。今日はスニーカー見るだけにするし」
あっちだよ。フロイドが店の右奥を指差す。僕はその指の先を見て、それからフロイドを見た。眉と唇にギュッと力を入れている。あまり見ない表情だけど、なんだか似合わないなと思った。僕はフロイドのふわっと上がっている口角を見るのが好きだ。僕がここで立ち止まっている限り、この硬直は続くんだろうか。
「みたいですね。フロイド、行きましょう」
「うん」
僕の一歩に合わせて、彼の足が動く。1年ほど前、僕たちの中で1番に地面を蹴った足と歩幅を合わせて歩く。普通に歩いたら、歩幅なんて合うわけないのに。その足が、ずっと速く歩いたり走ったりできるのを僕は知っている。
だけど、ソレも自分のモノにしたいと思ったことがない。
壁にディスプレイされたスニーカーたちを見上げる。思ったより色と形がたくさんあるのだなということ以外の、性能の良し悪しは、僕にはわからない。フロイドは特に何を言うでもなく、自分の気に入った靴を手にとって眺めては戻し、いじくりまわしては戻している。
僕はただ、近くにあった椅子に座って、そんなフロイドを見ていた。
ふと、壁に並ぶスニーカーに目をやる。上から2番目、真ん中より少し右側。1足のスニーカーが、目に留まる。
「フロイド」
「ん~?」
「あれは、どうですか」
指差した先に、彼の視線が移る。そのスニーカーを目に入れると、フロイドは眉を上げて、嬉しそうに振り向いた。
「アズール、あーゆーの好きなの?」
「いや、その。何となく、お前が好きそうな感じがして」
「へぇ」
「この間お前と見ていた雑誌に、似たようなデザインのものがあったでしょう。欲しいと言っていたじゃないですか」
形が似ていたし、色もフロイドが好みそうなもので。だから、パッと目に留まった。
「ふぅ~ん」
「なんだ、ニヤニヤして」
「なーんも。アズールがいいって言うし、アレ買おっかなぁ」
サイズあるか聞いてくる。そう言い置いて、フロイドが店員を探しに行く。
その口元は口角がふわっと上がっていて、なんだかホッとする。ああ、やっぱりあれがいい。
良いと思うけど、自分のモノにしようとはやっぱり思えない。
結局、目当てのスニーカーのサイズは店内にはなかった。取り寄せになると話す店員に、「お願いしまぁす」と言ったフロイドは、喜々として取り寄せ購入の用紙に名前を書き込んでいた。
帰り道でそのことが妙に気になり、急に不安になってしまう。
「あの、今更ですけど、あの靴で良かったんですか」
「は? 何かダメだった?」
「いえ。僕が口を出す前に、少し悩んでいたでしょう。もう買いたいものが決まっていたんじゃないかと」
「欲しいもの上げだしたら、切りがないのはアズールも良く知ってんじゃん。買い物するときに大事なのは値段交渉と経費内に収めることと、後は思い切り!」
「でしょ?」とフロイドが笑う。僕がいつも彼に言っていることだ。
「でも」
「それに、嬉しかったんだよね」
隣を歩いていたフロイドがピタリと足を止めるので、僕はその1歩先で足を止めた。
「嬉しい、ですか」
「そう。恋人とか番ってさ、チューとかしたり子どもとか産んだりするだけで、一緒にいるだけで、結局は他人だし名前だけじゃんって、オレ思ってたんだけど」
フロイドの頬がほんわりと染まる。いつも白い頬に色が入るだけで、彼の表情はグッと魅力的になる。
「違うんだって。それだけじゃなくって、好きなもの同士が長い間一緒にいると、混じってくるんだって」
「混じる?」
「例えば、ライスバーガーのソースとか、スニーカーのデザインとか。今まで意識してなかったことなのに、アズールが好きってだけでその味を覚えたり、オレが好きそうなデザインとかって考えるようになったりするんだよ。そーゆーのって、良くない?」
フロイドはそう言って、少し視線を逸らした。そして、突然僕の腕を引っ張って「ここ道の真ん中だから、危ない」と道の端へと移動させた。
「それって、」
その衝撃で、特に言うつもりもなかった言葉が飛び出た。
「それって、良いことなんですか」
はたして、僕と混じっていいことなんてあるんだろうか。優れたその身体に、他に何が必要だって言うんだろうか。僕の「気持ち悪い」がじわりとフロイドに滲むことは、なんだか許されないことのような気がする。
それって、良いことなの?
「僕がお前から、良いところを奪っていくならまだしも」
「……オレがあげられるもんなら、あげてもいいけど」
フロイドは、視線を右上にあげて何か考えてから、「でも、アズールがオレそっくりになっちゃうのはイヤだなぁ」と声のトーンを落として、ひとり言のような言葉を落とした。
「どうしてですか」
「だってさ、オレがすきなアズールがどんどんいなくなる訳でしょ。アズールの面白いとことか綺麗なとことか面倒なとことか、全部なくなっちゃったら、なんかイヤじゃん」
「奪って変わるのと、じわじわ混じっていくのは違うんですか」
「コーヒーを一部分だけミルクに変えるのと、コーヒーにミルクを徐々に混ぜるのとの違いみたいな?」
それは何か違うんだろうか。飲んだら味は一緒な気がするけど。
「それに、アズールにオレを移していったら、なんか途中でバグって、ジェイドになるような気がするし」
「え゛、それは」
「アズール、ひっでぇ!」
「ジェイドに言いつけてやろ~」と言って、携帯を取り出そうとする手を、慌てて押さえる。
「やめてください。絶対、後で面倒くさいことになる!」
ギュッと動かないように腕を握ると、フロイドはケラケラ声を上げて笑った。
「……僕、お前みたいになりたいと思ったことはないんですよ。今まで、一度も。ないですけど、今みたいなそういうところは、ちょっとズルいなって思います」
「そーなの? でも、オレもアズールになりたいって思ったことないけど、アズールってズルいなって思ったことあるよ」
「いつですか?」
「ないしょ!」
「さー、そろそろ帰ろっか」とフロイドが手を差し出す。水かきも鋭い爪もない、少し骨ばった大きな手だ。
「繋ぎませんよ」
「繋ぐんだよ、デートだから」
「まだ言いますか」
そう何度も何度も言われると、後で思い出したとき、今日は偵察ではなくデートだったのだと思ってしまう気がする。
「アズールが分かってくれるまで、何回も言う」
「分かりませんよ、僕はお前じゃないんだから」
「違うよ。ホント、アズールって何も分かってない」
「昨日のオレの話聞いてなかったの?」という不満気な声が僕の耳を撫ぜる。
昨日、なんか言ったっけ? 眠かったから、何にも覚えてない。
「デートって、恋人とするんだよ」
「それくらい知ってます」
「恋人って、「好きだよ」ってお互いに思い合ったヤツらが「好きだよ」って言ったらなれるカンケーなんだって」
ああ、なんだか、そんなことを言っていたような気もする。
「はぁ。それで?」
「オレ、アズールが好きだよ」
その低い声に、フロイドの顔を見上げる。
「アズールも、オレのこと好きでしょ?」
ちょっと湿った金の右目に僕が映っている。
「だからデートじゃん、オレ、何も間違ってねえよ」
こんな時に笑ってくれないとこも、ズルいなって思う。真剣な表情をすると、フロイドの顔は怖いくらい綺麗だ。
そっと手を伸ばして、彼の手を握る。いつもよりずっとヒンヤリしていて、冷たくて気持ちがいい。
「僕の手、気持ち悪くないですか」
「全然。ちょっと小っちゃくて、ペンだこがあって、爪が桜貝みたいで、オレは好き」
「そうですか。良かった」
帰り道を一歩踏み出す。それに合わせて、フロイドが足を出す。
1歩、また1歩、もう1歩。歩いて、僕は言った。
「そっか、ボクはフロイドが好きなんですね」
「そうだよ」
柔らかい声が落ちてきて、ストンと胸の中に落ちる。
「今更だけどね」
「デートもしてしまいましたし」
「そーだ、チューもする?」
「それはしません」
「ちぇー」
唇を震わせる音が長い息に変わるまで待って、僕はつないだ手に力をこめる。
「恋人なんだから、後で、いくらでもできますよ」
後で、を強調するように区切って言い切った。
途端に、なんだか恥ずかしい気持ちになってきて、足を速める。あれ、今、僕。
「……そーゆーとこだよぉ、タコちゃん」
小さく零されたフロイドの言葉を拾うことが出来ないまま、頬の火照りを誤魔化すように、僕はせかせかと足を動かして帰り道を急いだ。
