!捏造がひどいぞ
・原作(アニメ、ゲーム)以外の過去捏造(境遇、呼び名等)
・キャラのぶれがある
・悠太くんにすこしかわいそうな役回りをしてもらっている
ベースが前書いた『さびしんぼうのねがいごと』。
あと、ごうちんがすごくウダウダしてて、頭の中は年齢詐欺気味。
たけど、きっとアレがそうだった。
強引な勧誘に戸惑って、自分が言った言葉を思い出して諦めて、やけくそになっていた俺が絆されてしまった一つの原因になったその表情。
アイツの空色の、凪いだ海のような静かな瞳がふるりと揺れた。小さく波だった。それに音を当てはめるなら、ちゃぷん、だろうか。それとも、ぴちゃん、だろうか。
認めたくはないが、いいなと思ったのだ。あの時、喉の奥の方がジワリと疼いて、声にならなかった何かが、ユラユラ腹の底へ沈んだ。
……認めたくはないが、もう一度見たいと思わせるには十分な魅力を秘めた表情だった。
ああ、また話が逸れた。とにかく、俺は変な笑顔を浮かべるアイツをどう扱っていいものか持て余していた。それは確かだ。
◆
その日は細かな雨が降っていた。振付の合同レッスンが終わって、3人で向かった仮グループ別のレッスンルームにあるブラインドの隙間から見えたのは、雨粒が貼りついた窓とその向こうの重たい色の厚い雲。阿修が、朝の天気予報を見てちゃんと傘を持ってきたんだと自慢げに言って、愛染がエライねと笑った。
壁にかけられた時計を見れば、担当の先生が来るまでには少しだけ早い時間。共通の趣味があるわけでもない俺たちの会話が雑談で広がる訳がなく、話題は自ずと前の週に出されていた課題曲についてになっていた。
「僕ね、ここのフレーズが好き。ね、今日はここのパート僕が歌ってみたい!いい?」
キラキラとした目で、阿修が愛染に聞く。あの頃阿修は、お願い事があると全て愛染に尋ねていた。愛染が肯定すれば、多数決で勝つからだ。そして、愛染は意見を否定しない。
「うん、いいよ」
いつもと同じ軽い肯定の言葉が、愛染から吐き出された。
「そこは先週のレッスンで、お前のパート割りじゃなかったか?」
「そうだっけ?でも阿修がやりたいなら、その方がいいと思う」
ね、と愛染が笑う。阿修はじっとその顔を見て、その後「ありがとう、がんばる!」と返事をした。
俺はそこで何か言うべきだった。例えば、「お前が何度もダメ出しを受けて、なんとかモノにしたところだろ」とか、「もう少し気持ちを入れて歌えるようにして来いって言われたんだから、投げ出すんじゃねえよ」とか、そういうことを。
きっと愛染は何度も練習してきていただろうし(アイツは昔から陰で努力をする奴だった)、持っていた譜にも赤いペンで書き込みがあるのが見えていた。
だけど、何も言わなかった。
阿修はヤル気があって、愛染は「その方がいい」と言ったから。混ぜ返していいものなのかが、分からなかった。グループ活動とか仲間とかいう関係について、あの頃はいつも戸惑っていた。
その度に、思い出したくもない誰かに言われた言葉が頭に浮んだ。
「お前の言っていることは、正しいよ。だけどさ、もっと言い方があるだろ」
(うるせぇ)
「言っていいことと悪いことの区別がつかねえのかよ」
(うるせぇ、うるせぇ)
言い方って言われても、他に何て言えばいいんだ。正しいなら、それはいいことじゃないのかよ。
誰かが言わなきゃずっとそのまま、悪いままだろうが。それでいいのかよ。
だから、誰かが。誰かがいないなら、俺が。……俺、が。
(何も言わないでただ見ている、俺が?)
目の前の二人に一瞬、誰かたちが重なって見えた。
グッと、拳を固く握りしめる。
――コイツらも、同じことを言うんだろうか。
そうこう考えているうちに、レッスン室のドアが開いて先生が入ってきてしまった。
面白くないことを思いだしたせいで重くなった気持ちを掻き消すために、大きく深呼吸する。
レッスンに私情は持ち込みたくない。気持ちは歌にのってしまう。
「おまたせ。じゃあ、始めましょうか」
「お願いします」
3人で頭を下げる時に、チラリと隣を盗み見る。愛染はやっぱり笑っていた。
結果的に言えば、あの日の阿修の提案は叶わなかった。曲のパート割は、俺たちそれぞれへの課題として与えられていたからだ。
愛染は阿修に苦手なパートを無理強いしたことになり、当然だが注意を受けた。
「出来ないと諦めてしまうのは簡単です。練習はしてこなかったのかな?私は先週、このパートを練習してきなさいと言ったと思うのだけれど。そうやって出来ないことを中途半端に投げ出して、年下の子に押し付けるなんて恥ずかしいとは思わないの?」
「すみません」と愛染が謝るのを見て、阿修は泣きそうな顔になっていた。大きな目が不安げにキョロキョロ動いて、先生と愛染を交互に見る。
右、左、右、左。もう一回、左。そして覚悟を決めたのか、パカっとその口を開いた。言いだしたのは自分の方だと、説明しようとしたんだろう。
「せんせい、ぼくが」
「うまく出来なくて、ムシャクシャしてました。阿修なら聞いてくれるだろうと思ったので押し付けたんです。本当にすみませんでした」
勇気で震えた阿修の声は、すぐにそれよりもはっきりとした声にかき消されてしまった。愛染が深々頭を下げる。先生は、今後気をつけなさいと言ってため息を吐いた。そして、その話を終わらせた。
「阿修、無茶言ってごめんね」
その言葉に阿修が息を呑む音がする。頭を下げた愛染の表情は、長めの前髪が顔を隠したせいで見えなかった。
俺たちに届いたのは声だけ。本当にそう思っているかのような、妙に滑らかな声だけだった。
その後阿修はずっと浮かない顔をしていたし、俺はずっと気持ちを誤魔化していたが、レッスン自体は何事もなく進み、予定通りの時間に終了した。
ザアザア。ダダダ。
雨粒が、窓を叩く。その音がうるさいと感じるほど、雨脚は激しくなっていた。
◆
ビルの出入り口にあたる自動ドアが開くと、湿った空気が襲いかかってきて思わず顔を顰めてしまう。
雨が特別嫌いなわけではないが、梅雨の生暖かく息がし辛い空気はあまり好きではない。湿度が高いはずなのに、喉が渇く気がするのもいけ好かない。
文句を並べたところで雨が止むわけでもないので、さっさと傘を広げる。ビニール傘は盗まれたり、間違われる確率が高いぞなんて他人の言葉を真に受けて買った傘は、大きさに見合ってやや重い。バタバタと傘の上で弾ける雨粒の重さで、ネイビーの生地が絶えず震えた。心なしかいつもより足早に歩く人の波にのるようにして、駅への道を歩き出す。
雨音が妙に耳障りで、ポケットに入っているはずのウォークマンを探る。何か、気持ちの上がる曲が聴きたい。
そう思ってイヤホンを取り出した時、背後から水を蹴って走ってくる音が聞こえた。
「うわ、」
その音に気を取られたせいで、アスファルトに溜まった雨水を蹴飛ばしてしまった。
最悪だと思いながら立ち止まり濡れてしまったスニーカーを睨んでいると、その音の主が真横を通り過ぎようとする。ふと視線をずらすと、見覚えのあるジャージの裾が見えた。
驚いて顔をあげる。フードを被っていても見えるその水色には、随分見覚えがあった。
「愛染!」
俺の声に男が足を止める。ゆっくり振り返った愛染は、傘を差していなかった。
しとどに濡れて静かに雨の中に立っている姿に、慌てて駆け寄り傘を差しかける。
「お前、傘は?」
「ああ、うん。盗られちゃった、みたい」
愛染は何か珍しいものを見るように、俺にじろじろと視線を向けながら言った。長い前髪から雫が垂れて、俺の指を濡らす。持っているバッグも履いている靴もぐっしょりと濡れていた。俺が見ているモノに気づいたのか一歩足を引こうとしたので、手首を掴んで引き留める。触れた肌が冷たい。何か言わなければ、と思った。
「え、駅までなら、入っていけよ」
大きめの傘とはいえ二人並んで全く濡れないとはいかないかもしれないが(それに愛染は現状でずぶ濡れだ)、これ以上雨の中を歩かせるのは気が引けた。
「大丈夫だよ」
「でも、濡れるだろ」
「もう濡れてるし。途中からは、……バスで帰るから」
唇がゆるく弧を描いてみせた。が、それは俺の目に笑顔として映らなかった。水色の目が雨空を取り込んだみたく重い色をして、全然笑ってなかったからだ。
「バスって。ビル前にバス停あっただろ」
「あー。いつも使ってるのは、もうちょっと先のバス停なんだよね」
「もうちょっとって、ここからどれくらいだよ」
愛染が言葉を探して口を噤む。もうちょっとが、ちょっとの距離でないのは明らかだった。
話している相手の本心は、目に現れるらしい。だから騙されたりしないよう、しっかり相手の目を見なさい。これもどこかで聞いた言葉だったが、俺はその時、愛染の目を見ていた。
確かに変化が目に現れた。
動揺に大きく揺れた、時化たその瞳の中に、ソイツはいた。
白い鱗に白い鰭。形は金魚みたいにまるくて、鰭が大きい。
目が釘付けになる。それは、小さな小さな白い魚だった。
ソイツは愛染の右目で、ひらひらと波に翻弄されている。溺れていた。
目の錯覚を疑って数回瞬いてみる。が、上手く泳げない魚はやっぱりそこにいた。
白い魚は苦しそうに、パクパクと口を動かす。
パク、パク、パク。パク、パク、パク。
規則的に繰り返されるそれが、言わばMayday。救難信号。SOS。そんな風に見えて。
助けて、と言われている気がした。
「えっと、とにかく俺は大丈夫だから」
愛染が目を伏せると、長い睫毛が邪魔をして魚が見えなくなってしまう。
ダメだ。と思った。ここで、コイツを逃がしてはいけない。そんなアラームが、頭の中で鳴り響く。
「っ、」
「体も冷えるし、もう行くよ。傘に入れてくれて、ありがとう」
手首を掴んでいた手に、愛染の指がかかる。やんわりと、だがすぐにでも引き剥がしてここから離れようとしているのがと分かる力が、指先に籠められた。
マズい。
何か。何かないかと、目を動かす。コイツを引き留めるための、何か。
ふと、視界の端にCoffeeの文字が引っ掛かる。
アレだ、と手首を強く掴みなおして引っ張った。
「え、ちょっと、金城」
「こっち」
水たまりを避けるのも忘れて、見つけた看板を目指す。狭い路地に入ったからか愛染が何やら不安気な声を出したが、無視して進んだ。
駆け込むようにして入ったのは、それまであることすらも知らなかった喫茶店だった。
開いたドアの中に愛染を押し込んで、外に出てこないよう注意しながら傘を畳む。 傘立てに傘を突っ込んでから店に入ると、愛染は困惑しながらも大人しくそこにいた。
カランと鳴るベルの音を聞いたのか、俺たちに気付いた店員が出迎えの声をかけてきたのに目礼を返す。彼はすぐに「タオルをお持ちしますね」と言って店の奥へ消えた。そう言えば1人はずぶ濡れだった。
こんな状態でズカズカと店の中に入っていくわけにもいかないから、大人しく待つしかない。
「……えっと。こんなお店あったんだね、知らなかった」
「あ?……あー、おう」
俺も知らなかった。小さく吐き捨てると、愛染が怪訝な顔をした。
「なんだそれ」
「いや。お前がその、……冷える、つったから、だな」
何とか頭を捻って、それらしい言い訳を口にする。そのおかげかどうか知らないが、隣で濡れた体を気にして居心地悪そうにしているヤツは「そう」と返事をした後、何も言わなくなった。
今頃俺には、変なヤツのレッテルが貼られているのかもしれない。
だとしたら、お前の目の中の魚が助けてほしそうにしていたからなんて、口が裂けても言えない。そんなの変な奴を通り越して、crazy野郎じゃねえか。
愛染が喋るのをやめたので、2人の間に沈黙が流れる。
手持ち無沙汰に店内を見回した。狭いながらも内装はインダストリアルなデザインで統一されていて、中々に性に合う雰囲気だ。
テーブル席は3つ。ちゃんとしたカウンターがあるから、ひょっとするとカフェバーなのかもしれない。客は2組ほどいて、奥のテーブル席に男女2人、カウンター席に男が1人座っている。
そこでようやく、カウンター端にある蓄音機からジャズが流れてきているのに気付いた。思っていたよりも、緊張していたようだ。
心を落ち着けるようとしてしばらくサックスの音色に耳を傾けていると、店員がタオルを持って戻ってきた。礼を言って受け取って、愛染に手渡す。ぎこちなく身体を拭くのを確認しながら、店員の「2名様ですか」という問いに頷いた。
そのまま入口に近い二人掛けのテーブル席に腰を下ろす。タオルに湿り気を移し終わった愛染も、無言で向かいの椅子に腰を下ろした。濡れたバッグがその足元に置かれる。
どうやら観念したらしい。
何か注文をしなければとメニューを取る。一番安いだろうオリジナルコーヒーは一杯450円だった。
イヤイヤ、高いだろ。缶コーヒーなら3缶は飲めるぞ。なんて思っていると、愛染が申し訳なさそうに小銭入れを開けた。
「俺、お金持ってない」
不格好な黒の小銭入れは、もっと歳がいった男、有体に言うとおっさんが持っているようなデザインで、目の前の男には不釣り合いだった。
中には、100円玉が2枚と10円1枚。きっちり210円しか入っていなかった。
「本当に持ってないな」
「レッスンの日は、バス代しか貰わないから」
コーヒー代にもならねえなと茶化してやろうと思ったのに、愛染が下手くそに笑うせいで何も言えなくなる。
そういえば愛染は、遠くのバス停まで走ろうとしていた。……だけど、本当にコイツはバスに乗ろうとしていたんだろうか。
探るように覗き込んだ瞳の中では、まだあの魚がユラユラと波を持て余している。
「いい。俺が引っ張って来たんだし、俺が出す」
帰りに駅前のCDショップに寄る予定だったから、3000円とちょっとは入っているはずだ。気になっていたバンドのアルバムを思うと名残惜しいが、それはまた今度にすればいい。
「お前も、コーヒーな」
2人で900円。雨宿り代とタオル代だと思えば、そう高くも無いと自分に言い聞かせて注文をする。
熱いコーヒーを飲めば、冷えた体も温まるだろう。
「お金なくてゴメン。今度のレッスンの時に返す」
コーヒーカップで手を温めながら、愛染が言った。
「いい、いらねえ」
「駄目だよ。お金のことはちゃんとしないと」
「いいってば」
「でも、」
小さい声を絞り出した後、ソイツは下唇を噛んで俯いてしまった。
いつもはイエスマンなくせに、突っかかってくるなんて珍しい。いらないと言っているのだから、受け取っておけばいいものを。
自分が損をするのはよくて、貸しを作るのはよくても、借りを作るのは嫌ってか。ふーん。
コーヒーを口に含む。目の前のヤツも倣うようにコーヒーに口をつけた。
ちょっと苦みが強いが、美味い。値段が高いだけあるな。
「そんなに気にすんなら、俺の言うことを1つ聞くってのはどうだ」
それでチャラにしてやるよ。
愛染の眉根がクッと寄った。カップがへの字を書く唇から離れ、カチャリと音を出してソーサーの上に戻る。
「……。内容を聞いてから、決める」
「OK」
すぐに了承しないのは賢い選択だ。別にコイツを貶めようとか考えている訳じゃないけど。
「で、何すればいいの?」
女の子を紹介してほしいとか?
愛染と目の中の白い魚が、こちらを窺っている。
「そうやって笑うのやめろ」
散々言い訳を並べてグズグズと言えずにいた文句は、案外スンナリと吐き出せた。
俺の言葉に見開かれた目の水色の海で、魚が藻掻いている。
「そうやって?」
「今日、阿修の意見を聞いた時にしたやつとかもそうだったけど。お前いつも「分かった」とか「いいよ」って、変な顔するだろ。バスで帰るつった時は笑えてもなかったぞ」
「……変な顔」
途端に、愛染の唇が戦慄いた。コーヒーカップの取っ手が強く握られたのを見て、ギクリとした。俺の言った言葉で泣きだした誰かを思い出す。
これか。言い方が悪いとかいうのは。
「嘘。笑えてない?変に見える?そんな、ウソ」
「あ?いや、なんだ。言い方が、悪いのか」
反射的に、頭を掻いた。
何て言えばいいんだ。何て言えば伝わるんだ。あー、くそ。まとまんねえ。
責めるつもりはないが、これは否定だ。俺が正しいと思っていても、コイツにとっては違うかもしれない。言って悪いことかもしれない。
だとしても、言わない気持ちは伝わらないままだ。ならば、いいことでも悪いことでも言葉にするしかない。
「お前、あれだ。言いたいこと我慢して、無理して笑ってんだろ。それが俺には、すげえ苦しい顔に見えるんだよ」
そう、ちょうど溺れそうな魚みたいに。見ていられなくなる。
「あの時、お前1番になるって言ったよな。でもお前がそんな笑い方するたびに、俺たちを、信じてないんじゃないかって思う」
「信じてないわけじゃないよ。2人に、……あの時言ったことは、嘘じゃない」
愛染は何かを探しているのかキョロリと目を動かした後、俺の目を見据えた。目の中で魚の鰭が一際大きく揺らめく。
「俺は2人を信じてる。だけど、金城たちが俺をどう見てるかは、俺には分からない」
「信じてねえってことだろ」
「違うよ。違う」
「……俺たちには言えないんだろ、ソレも」
顎をしゃくって足元を示してやれば、愛染は体をこわばらせる。
やっぱりそうか。いくら雨の中走ってきたとしても、バッグも靴もあそこまで濡れない。
そういう状態になる原因があったはずだ。よっぽど派手に転けたとか、他の方法で先に濡れていたとか、な。
「どうなんだよ」
「……俺、外見にはちょっと自信があるんだよね」
「は?」
何を言いだしたんだ、コイツ。話を強引に逸らされて、呆気に取られてしまう。
「だけど、他は人並みなんだ。勿論これからも練習して、歌もダンスも頑張るつもりだけど。……だけど」
「何だよ、泣き言か?」
「置いてけぼりにされるのは、怖いよ」
そう言ってギュッと目を瞑った愛染は、俺より身長があるくせに、なんだか小さい子どもみたいに見えた。
愛染健十という男は、すました顔が得意で、その割に上手く笑えなくて、可哀想に思う。
だけど本当のコイツは弱さを隠せるほど負けん気があって、情に満ちたヤツなんじゃないだろか。
なら俺は、その弱音を否定してやりたい。
「じゃあ、こうしようぜ。これから俺は、変な顔で笑ったお前を一切信じてやらねえ。そんでお前が嫌そうに肯定することを、俺が全部否定してやる」
それでもし事が上手くいかなかったら、俺のせいにすればいい。
愛染の目を真っ直ぐ見る。睨めっこにしては一方的に睨みつける。お前の中身と不安定に揺れる魚に届くように、気持ちを声に込めた。
言い負かしてやるよ。喧嘩だ、こんなもんは。
「その代わり、お前は俺たちの前で変な顔で笑うのをやめろ。笑いたくないときは、無理して笑わなくていい。本当におかしいって思った時だけ笑え。俺らの前では、嫌だと思ったら怒ればいいし疲れた時はボケッと間抜けな面してろ」
「何それ。何でそんなこと」
「理由なんて考えてねえで、そうしろ」
「出来ないよ。カッコ悪いし、それに」
ゆるく振られる頭に苛立って、テーブルの下の足を軽く蹴る。
「やるんだよ」
そしたら、コーヒー代ぐらいにはなる。
コーヒーカップの縁を弾きながらそう言うと、苦笑が1つ返ってきた。
「……コーヒー代、ね」
「格安だろ」
「どうかな」
両手で顔を覆った愛染が、大きく息を吐く。
「分かんない」
指の隙間から見える目の中、少しだけ緩やかになった波間で白い魚が鱗を光らせた。
「それともう1つだけど、」
「え、さっき1つって」
「ついでだから、お前が飲みやすいコーヒーの味、教えてくれ」
苦いの、ダメなのか?我慢して飲んでるだろ。
全然減らないカップの中身を指さしてやれば、愛染はサッと目を逸らした。図星かよ。
「砂糖もミルクもあんのに、なんで入れねえんだ」
「金城は、何も入れてないだろ」
「俺は甘いの苦手なんだよ」
味覚なんてのは人によって違うんだから、別にカッコつけて我慢する必要はねえだろ。
そう言って、ミルクと砂糖の乗ったトレーを押してやる。
「子どもっぽいじゃん」
「俺らはまだ子どもだろ」
「自分はブラックで飲めるからって、エラそうに」
愛染は不貞腐れた顔をした。やっと見えた年相応の、いや少し幼い表情。
手のひらを上に向けて「どうぞ」と差し出してやれば、コチラをひと睨みした後渋々トレーに手を伸ばした。シュガーポットから角砂糖を1つ取りだして、コーヒーに落とす。
「ミルクは?」
「入れる。……ひと回し」
「ひと回し?」
「あなたと飲むコーヒーには、お砂糖を1つ、ミルクはひと回し」
小さく歌いながら、愛染がミルクピッチャーを傾ける。カップの中にくるりと白い円が描かれた。不思議な節だけど、即興の鼻唄だろうか。粗いメロディーはどこかで聞いた様な気もした。
「――母さんがさ。機嫌が良いときに、歌いながらコーヒーを作ってくれたんだ。コーヒーっていうとそれしか覚えてなくて」
何にも入れないコーヒーは、苦いんだ。
そう言った口に、薄い茶色になった液体が流し込まれる。白い喉がコクリと鳴った。
「……うん。こんな味だった」
伏せられた長い睫毛がゆっくり持ち上がる。ゆらりと、愛染の目の中が大きく波打った。
あ、泣く。
その大波が、白い魚を巻き込んで溢れてしまいそうで、思わず手を伸ばした。目の縁を指でなぞるようにして、流れ落ちる前の雫を受け止める。
「そうか。覚えておく」
「忘れていいよ」
「忘れてやらねえ。大事なことだから、ちゃんと覚えておく」
砂糖1つ、ミルクをひと回し。メロディーを覚えるつもりで聞いていなかったから、そこは適当に歌いやすく変えて、何回か繰り返す。
どれもしっくりこなくてもう一度歌ってもらおうかと考えていると、ふは、と空気の漏れる音がした。
愛染を見ると、さっきまで潤んでいた瞳と目が合う。
「金城って、変な奴だなぁ」
「お前の方が変だろ。おい、笑ってんなよ」
しっかりと貼り付けられてしまった変な奴のレッテル。不名誉なそれと引き換えにして垣間見えたのは、まさに蕾がほころぶような笑顔だった。
◆
玄関のドアが開く音がしたのは、風呂上りに廊下を歩いていた時だ。気まぐれにそちらに足を向けると、そこにはずぶ濡れお化けが立っていた。本当にいるもんなんだなあ、ずぶ濡れお化け。
「よう、おかえり。水も滴る何とやらだな」
「ただいま」
ずぶ濡れお化けは、お化けらしく陰鬱な声を出した。それから、「最悪、傘盗られた」と呻く。この男が最近使っていたのは、どこかのブランドものだったはずだ。ビニール傘だろうが、高級な傘だろうが、雨の日の泥棒には関係ないらしい。「ううっ、」と声を漏らす男は、よっぽど傘を気に入っていたのだろうか。いや、違うな。傘が盗られたことよりもぐっしょりと濡れたことの方が気に入らないという顔だ。
「ケンケンおかえり~。わー、ずぶ濡れだぁ」
玄関からの聞こえるゾンビのような声に気が付いたのだろう。すっかり寝る準備を整えていた阿修が、自分の部屋からひょっこり顔を出した。
「タオルいるー?」
「ゆうたぁ、お願いぃ」
「オッケー!ちょっと待っててね」
情けない声にピースサインで答えた愛染の救世主は、すぐにバスルームへと駆けて行く。
水滴を室内に零すまいとしているのか、直立に突っ立たままの愛染は「くそっ、靴下まで濡れてる」と乱暴な言葉を吐き捨てた。そして、2回続けてクシャミをした。
「おい、風邪なんか引くんじゃねえぞ」
「うるさい。すぐシャワー浴びるから、大丈夫だよ」
ズズッと行儀悪く鼻をすすった男が口を尖らせる。不貞腐れた顔をすると少し幼く見えるのは、あの頃から変わっていない。
「風呂から上がったら、コーヒー淹れてやるよ」
滅多にしない俺の提案に、愛染は潤んだ目を丸くした。大きく開かれた目には、いつの間にかあの白い魚が泳いでいる。
「砂糖1つとミルクひと回し、だろ」
「……ッはは。余計なことは、よく覚えてるんだから」
眉を下げて、薄く笑われた。なんだ、コイツ。俺が忘れたとでも思っていたのだろうか。
「余計なことじゃねえよ、大事なことだろうが」
「……。ズルいなあ、剛士は」
そんなカッコいい台詞言えるようになったんだなぁ、と愛染がケラケラ笑った。白かった頬に赤みがさす。
そう言われて意識すると、何とも気恥ずかしい気持ちが湧いてくる。
本音しか言っていないはずだが、確かに気障な台詞回しだったかもしれない。
それでも、コイツにカッコいいなんて言われてしまえば、(それが例え冗談であっても)嬉しさを隠せなくて困る。
ごちゃごちゃし始めた感情を全部誤魔化すために空笑いしてみた。ハハッと笑いだしたら、だんだん本当におかしくなってくる。2人分の笑い声が玄関に広がっていく。
「なになに~?何の話?」
バスタオルを抱えて走ってきた阿修が、馬鹿みたいに笑っている俺たちを見て、不思議そうに首を傾げた。
「いや、ククッ。別に。ハハ」
「えー!なんで2人してそんなに楽しそうなの!?何話してたのさー」
仲間外れはよくないよ!と阿修が喚く。それすらも、面白く感じる。
「もー!」
笑いが止まらない俺を見て話が通じないと感じたのか、阿修は愛染に矛先を変えて再び訴えた。
「ケンケンまで!何の話?!」
頬を膨らませた阿修からタオルを受け取った愛染が、チラリと俺に視線を寄越す。
パチリと目が合うが、俺の笑いは止まらなかった。声が漏れないように閉じた唇がヒクつく。何で笑っているのかなんて、俺が聞きたい。
愛染のスラリと伸ばされた人差し指が、彼の唇へと延びる。ピンク色の唇に当てられた指の向こうから、ひどく楽しそうな声がした。
「変わり者にしか分からない内緒の話、かな」
細くなった目の中で、白い魚がぴちゃんと跳ねた。
◇
ちゃぷん。
